〈僕はこんな店で食べてきた〉
料理人たちが求める、幸せな第2ステージ
20年ほど前に都内高級割烹の女将と雑談をしていたら、なんの弾みかは忘れたが、第二の人生話になった。
僕自身、現実味がない年頃だっただけに、それが妙に印象的だったので覚えている。店を拡張させたり、多店舗展開を考えているのかと思っていたら、
「ある程度の年になったら、いまの店を畳みたいなあと思っているの。それで小さなカウンターだけの定食屋をやりたいなあ。美味しい魚と味噌汁を出して、あとはきんぴらとか惣菜。お酒も飲めるし、食堂として使ってもらえるような店を、夫婦ふたりでやれたらいいんだけどなあ」
と彼女は話したのだ。僕はなんとなく、
「じゃあ、高級干物を取り寄せてひとり3,000円くらいの店にするかねえ」
なんて混ぜっ返しただけで終わってしまったが、今になって思えば、彼女の考えていたことは、きちんと現実的だった。
いまの女将はまだ現役だから、それが実現したとしてもずいぶん先だろうが、自分の老後が現実的になってきたせいか、最近は同年代の料理人の年の取り方に関心が湧いてきた。ここ10年、これまで弟子をたくさん使って耳目を集める料理をたくさん作ってきたオーナーシェフが店を畳み、自分の目の届く範囲の店を始めることが多くなってきたように感じたからだ。
僕なりに最初に気づいたのは、西麻布で1977年から「カピトリーノ」というイタリア料理の草分けのような店を開いた吉川敏明シェフがそこを閉じ、2008年に経堂からも千歳船橋駅からも15分ほど歩く住宅街に「ホスタリア エル・カンピドイオ」を開いたことが話題になったあたりだった。
テーブルがふたつしかない小さな店で、出すのは吉川さんが若い頃に修業したローマ料理。カルボナーラやサルティンボッカといった、伝統的な料理を食べさせ、店はいまも健在だ。
それとは少し遅れて、銀座一丁目にあったホテル西洋のイタリアン「アトーレ」総料理長を務めた室井克義シェフも文京区に「リセット」という店を開いた。意味深なネーミングだと思ったが、実はリゾットの意味とか。カウンターとテーブルの小さな店で、アトーレとは違い、シェフと話しながら楽しめる店だった。アトーレは手前にワインバー使いもできるカウンターもあり、高級店ながら使い勝手がいい店だった。その味を出そうとしているのかなと思っていたが、残念ながら5年ほどで閉じてしまった。
イタリアンが続くが、六本木「ロッシ」、表参道「フェリチタ」で腕を振るった岡谷文雄シェフが2011年に麹町に「ロッシ」を復活させたのも驚いた。
今度の店は隠れ家のような内装で、場所からいっても、岡谷ファンと一緒に同じ空気を楽しむようなつくりになっている。以前は深夜までやっており、ワインバーのような使い方もできたが、現在は24時までの営業になったようだ。そんなところも、第二の人生っぽくてほほえましい。
フレンチや日本料理でも
フレンチでは、2012年まで四谷三丁目で「スクレ・サレ」というビストロをやっていた中西貞人シェフが2017年に新宿御苑で同じ名前で再開した。かつてはソムリエと息のいいコンビで深夜までやっていたが、今度の店は夫婦ふたり。カウンター中心で、あとは大きなテーブルがひとつだけ。
四谷三丁目はプリフィックスだったが、今回はアラカルトのみという。そのおかげで、コースの値段に料理をあわせる必要がなくなり、好きなものを出せるようになったと話してくれたのが印象的だった。
銀座で30年にわたり高級寿司店「寿司 加納」を経営していた加納ご夫妻は軽井沢に移住したが、予約制でいまも寿司処「軽井沢 加納」を続けている。避暑地でゆったりと過ごしながらも、予約があれば豊洲から食材を調達し、見事な寿司を振舞ってくれる。こういう生き方ができるのは腕に職が立つからこそだなあとうらやましく思う。
日本橋で日本料理「逢坂」をやっている大坂和美さんは、老後というにはまだ若いが、2018年末に西麻布に紹介制の店を開いた。
東麻布、日本橋と評判のいい店を作ってきた大坂さんだけに、今度は自分の好きな料理を作りたいということだろうか。今度うかがう予定だが、いまから楽しみでしょうがない。
フランスではこの10年、高級レストランの有名シェフが新しい形態のビストロを出すのが流行っているし、日本でも若いシェフが自分が修業したジャンルに飽き足らず、さまざまなジャンルの店を自分で出したり、プロデュースすることも多くなった。
これだけ料理が多様化し、横の繋がりもかつてないほど活発化しているから、自分が究めた道以外にもチャレンジしたいと思うのはよくわかる。
こういう動きはきっと、今後も多くなるだろうと思うが、いわば建設的なチャレンジ。第二の人生で開く飲食店は、それとはちょっと違うと思う。儲けようというより、夫婦であったり、気の合う仲間であったり、ストレスのない関係と一緒にこれまでビジネスを優先させてきてできなかったことを実現させる場だからだ。
そんなことを考えていたら、金沢の名料亭「つる幸」の話が飛び込んできた。
つる幸は日本中にとどろく金沢料理の名店で、伝統を守りながら常に革新を追求する店として知られるが、そこが閉店したのは2018年の晩秋。そのつる幸が新しい店を開くという。
地元の北國新聞の報道によれば、新店「日本料理せつ理」の開店は今年5月予定。夜だけの営業で、客席はカウンター7席とテーブル席の計10席程度。13,000円程度のコース料理のみを提供する予定で、懐石料理という枠を外し、自由な料理になるらしい。
主人の河田康雄さんは二代目で、まだ50代半ばだから、これもまた第二の人生とはちがうかもしれないが、自分の好きなことをやろうとしている点では同じだ。
これまで蓄えてきた知識や技術を、今度は楽しみのために生かす。僕が食べてきた知識もそんな風に生かせたらいいなと思った。
★今回の話に登場した店
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