〈スープに恋して〉四川の伝統料理「鶏豆花湯」

四川料理といえば、まず“麻婆豆腐”。 続いて“担々麺”や“辣子鶏”(鶏の唐辛子炒め)、“麻辣火鍋”に“乾焼明蝦”(海老チリソース)などがおなじみだろうか。

 

“辛くて痺れる料理”のイメージがとかく強い四川料理。確かに、四方を険しい山々に囲まれ、夏は蒸し暑く、冬は寒さが厳しいこの地域は、典型的な盆地気候。必然的に、新陳代謝を良くする食べ物を身体が欲するわけで、唐辛子などの香辛料を多用する料理が多いのも事実だろう。

 

しかし、あの諸葛孔明をして「沃野千里 天府之土」と言わしめたほど四川は食材に恵まれた地域。“天府の国”と呼ばれる所以だが、食文化の歴史も古く、料理や味の多様性においては中国随一と言っても過言ではない……と個人的には思っている。そう、辛いだけが、四川料理の身上では決して無いのだ。

見るからにたおやかなご覧の「鶏豆花湯」。この滋味豊かな“湯”もまた、四川伝統のスープである。“豆花”とはおぼろ豆腐のことで、小丼全面を覆い尽くす綿雲のようなふわふわとした純白のそれは、まさしくおぼろ豆腐そのもの。口にすれば、淡雪の如くやわやわと舌の上でほどけ、あえかな余韻を残しつつ消えてゆく——その柔らかさも、まるでおぼろ豆腐のようなのだが……さにあらず。

シンプルな材料と熟練の技が生み出す佳品

「ペースト状にした鶏肉で作る四川の古典料理です」
「蜀郷香(シュウシャンシャン)」の寡黙なご主人、菊島弘従さんが口を開いた。
「四川料理の古い宴席には、必ずと言っていいほど登場する一品で、2000年も前から作られていると言われています」

一見して、いや口にしてもなお、鶏肉とはとても思えぬほど、やさしげな味わいなのだが、言われてみれば、口中に残るかすかな風味は、なるほど鶏肉のようだ。

 

しかし、いったいどうやったら、鶏肉がこのようなおぼろ豆腐状になるのだろうか? 早速、厨房で再現していただくことにした。

 

材料は、鶏挽肉と卵白。あとは、水と水溶き片栗粉を少々に生姜汁。そして味付けは塩、胡椒のみと、たったこれだけ。 極めてシンプルだ。しかし、そこには、実に細やかな手間暇がかけられていた。

 

鶏肉は脂のない胸肉を用意し、自らフードプロセッサーでミンチにする気の使いよう。胸肉がミンチ状になったら塩、胡椒、生姜汁を入れ、更にペースト状になるまで回し、下味をつける。そしてそこに、卵白と水、水溶き片栗粉を入れ、再度回すと、真っ白のやや粘度のあるタプタプとした液体?が出来上がる。

 

果たしてこれが、上手くまとまるのだろうか——、と思っていたら、菊島シェフが一言。

 

「この柔らかさが大切なんです。水が多すぎると固まらないし、それが怖くて水を減らすと、今度は、あのふわふわ感がなくなってしまう。水の量はほぼ目分量ですね」
そう言いつつ、シェフが生地をすくいあげると、糊状の膜がうっすら手のひらに残る程度のゆるゆる感。この微妙な感覚を見極めるのが、手練の技なのだろう。

これを、鶏がらで取った清湯(チンタン)に一気に投入。最初はそのまま。箸でいじると、バラバラになってしまうからで、この辺りの匙加減が、あの繊細な味わいを生むコツの一つなのだろう。火の入れ方も然り。
「沸々と沸騰する場所は一箇所だけでないとダメ。これが、あちこちから沸騰してくると、固まらずバラバラになってしまうんです」


アクの取り方にしても、実に丹念だ。鍋の縁などに少しでもアクがついていると、そこが焦げて色も香りも悪くなってしまうそうで、菊島シェフは、まるで息を詰めているかの如く慎重に、お玉の底でスープの表面をなぞるようにしてアクを少しずつ少しずつ取り除いていく。このような綿密な作業を何度も繰り返し、ようやくあの無垢な一杯が出来上がるのだ。

シンプルなものほど、隠れた手間暇がものを言い、高級食材を使わずとも品格ある料理は生まれる——この事実を、改めて実感させてくれる佳品である。

取材・文/森脇慶子

撮影/大谷次郎