【あの映画のあの味が食べたい!】

意図せずに、映画はいろいろなことを教えてくれる。恋愛物語を見てたはずなのにモーニングコーヒーの淹れ方についてウンチクを覚えたり、カクテルシュリンプの間違ってるけどイカした食べ方を真似したり。

 

とある場面のそれがどんな味でそのときどんな存在であるのか。映画のストーリーから思い起こされる食の遍歴(ログ)。それもまたおいしい。

『パリ、ジュテーム』のカルチェラタンのワイン

伝統が息づく、パリ風カフェレストランの先駆け

サン=ジェルマン・デ・プレ教会のほど近くにある「ドゥマゴパリ」は、作家ヘミング・ウェイらが愛したパリのカフェレストラン。その伝統を引き継いだお店が渋谷にもある。ここには映画で見たパリのかけらがあるような気がする。

 

ほど良い距離感をまとったギャルソンがいて、煙草をくゆらせている老人もいれば、読書に夢中な淑女もいる。そして乾杯しながら、会話を楽しむ恋人たちがいる。吹き抜けから陽光を浴びるのもいいけれど、夜のとばりが下りはじめたころの「ドゥマゴパリ」には、静かなる喧噪(ガチャガチャしてるけど落ち着いている)とおいしい赤ワインがある。それはまさにオムニバス映画『パリ、ジュテーム』で見たパリの一角のようだ……。

 

パレ・ロワイヤルやボージュ広場と並んでパリを象徴する公園のひとつ、リュクサンブール。遠くにはあまりにも近代的でパリッ子には不評のモンパルナスタワーがそびえ立っている。広大な園内は出口を間違うと周囲の景色がまったく違ったりするので、白いパンテオンを目印にして公園脇にあるはずのレストランを探した。どうしても、そのシーンを現地で回想してみたい。

 

『パリ、ジュテーム』を見てからというもの、さまざまな表情があるパリという街にすっかり魅せられてしまった。4話の地下鉄チュイルリー駅のスティーヴ・ブシェミ演じるアメリカ人観光客のズッコケ感は、パリあるあるだろうし、ナタリー・ポートマンが出てくる16話のサンドニ門や東駅界隈は実際に行ってみると、移民が多く刺激的でカオスな世界だ。

大人の恋愛にふさわしいボルドーの深紅

そして、17話目に出てくる、別居中の夫婦のストーリーとガチャガチャしてるけど落ち着いているレストランがたまらなかった。舞台は、リュクサンブール公園とソルボンヌ大学を取り囲む界隈、カルチェラタン。アメリカ人の夫ベンは離婚するために妻ジーナのいるパリへとやってくる。

 

久しぶりの再会をたしかめるあいさつもそこそこに、テーブルに座ると本題を話はじめる。おそらくは妻のなじみの店なのだろう。オーナーらしき男が、「マダムが好きなグラーヴはいかが」とボルドーの赤ワインをすすめてくる。それに従う初老のベンのしゃがれ声にかぶせるジーナのパンチの効いた切り返し。

 

内容はお互いの愛人や恋愛事情といった、男女の舌戦でありながら、傍から見たらしっとりとした大人のムードが漂う。どぎついけれど、ヒステリックではない感じ。ヘビーだけど、かなしくはない感じ。なんなんだろうか。このムードは。前髪の決まり具合ばかりを気にしている男にも、娘が着るような服を着て若いと喜んでいる女にも、醸し出せないものがそこにはある。その極めつけがこれ。

 

「駆け落ちしないか?」

「一度したでしょ?」

「君が毒舌を抑えてくれたら長続きしたのに」

「あなたがズボンを脱ぎすぎたことも原因よ」

「ビッチ(クソ女!)」

「チュッ(控えめな投げキッス)」

 

消えない愛情を内包しながら、相手に反撃させる余地を残して嫌味をさらりとのたまう絶妙なアンサンブル。そういう会話は、その人が目の前から消えてしまっても、目を閉じて余韻を取り戻すことができるはず。それから。男がかつて何度も見たはずの美しい笑顔を残して店を出て行った女。その背中にさよならの手をあげる。勘定を済ませようとすると、オーナーらしき男は今夜は店のおごりだと言う。君はよくわかっているね、というような男のフィンガーサインが印象的だ。

 

結局、ベンとジーナはワインに口をつけるどころか、グラスを傾けることすらしなかった。赤いワインは夫婦の終焉に添えられた花のようにそこに色をなすだけで十分だった。これをもったいないとか粗末にしているとかって言ったら、野暮というもの。恋人たちが楽しげにテーブルを囲み食事やワインを味わうレストランは、暮れゆく人生における大事な会話を交わす場所でもあったのだ。

出典:ベリータルトさん

もしもあなたがワインとともにいつかは終わりがくるだろう話のとっかかりを誰かとしたくなったら、「ドゥ マゴ パリ」へ行くといいかもしれない。イスに座って、どんな風に切り出すのがいいだろうか。劇中のベンとジーナのようなやりとりはまだまだハードルが高いとしても、この話の監督でありオーナーらしき男を演じたジェラール・ドパルデューのような素敵なギャルソンがアテンドしてくれるのは約束できる。

 

出典:味甘(みかん)さん

作品紹介

光の街、愛の街、花の都……。パリ20区のところどころにあるバーやカフェ、エッフェル塔、メトロの駅、公園、そして人びとの顔。それらをテーマにした18篇からなるオムニバス映画。監督には、『ファーゴ』のジョエル&イーサン・コーエンや『グッド・ウィル・ハンティング』のガス・ヴァン・サントといった、世界中のビッグネームが名を連ねる。当コラムで触れた6区のカルチェラタンを舞台にしたストーリーとそれに続く14区のモンパルナスの映画終盤のくだりは、短編にして人生というものを深く感じさせる秀逸な仕上がり。

『パリ、ジュテーム プレミアム・エディション』

DVD発売中: ¥4,700+税 発売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント