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【カレーおじさん \(^o^)/の今週のカレー #100(特別編)】カレー細胞さんと旨みたっぷり濃厚対談・後編
スパイスカレーブーム以前の日本のカレー事情が知りたい!
食べログマガジン編集部
対談前編では、スパイスカレーブームが到来した2017年以降のカレーについてをテーマに盛り上がりましたが、それ以前の日本を取り巻くカレー事情ってどんな感じだったんですか?
前編はこちら「〈今週のカレー100回記念〉カレー界の2大スターが2020年のカレーについて熱〜く語ります!」
カレーおじさん\(^o^)/
日本はずっと、カレーといえば白米にルゥカレーがのった“カレーライス”が主流だったんですね。お店自体は本格的なインドカレーを出す所もあったんですけど、その中で「このインド料理店はおいしいぞ」と店自体がクローズアップされて、しかもその店のシェフも注目されるようになってきたのが多分90年代後半〜2000年ぐらいですね。最初は「アジャンタ」出身シェフの人気が出て、その流れで日本各地にあるアジャンタ出身シェフの店も人気になりました。その後、「ダバインディア」が人気を集めて、「グルガオン」、そしてかつてあった「カイバル」「ハリドワール」など、ダバインディア系列のお店出身の、いわゆる“ダバ系”と呼ばれるシェフが手がける「カッチャル バッチャル」「タンドールバル カマルプール」などの店が話題になりました。
カレーおじさん\(^o^)/
そして、ダバインディアで初代料理長をやっていたシェフが「アーンドラキッチン」を立ち上げるっていう流れがありますね。アジャンタは南インド料理も出しているんですけど、北インド料理で有名になったんですね。その後、ダバ系シェフが南インド料理を広めたり、カッチャル バッチャルはスパイス料理とお酒の組み合わせを早くから始めたり、そういう点でも話題を集めていったのが2000〜2010年代の流れじゃないですかね。
カレー細胞
いわゆる本格的な現地風のインド料理と日本人が作るカレーライスとの間に接点がなかったんですよね。全く別のものでした。
カレーおじさん\(^o^)/
そうそう。だからカレーというよりは、インド料理っていうような。それが流行ったからそのテイストを日本のカレーに入れようっていうことで、結果的に大阪スパイスカレーとして花開いたっていう部分もありますよね。
食べログマガジン編集部
大阪スパイスカレーが流行った時点では、大阪では既にスパイス料理でお酒を飲むっていう文化は広まっていたんですか?
カレーおじさん\(^o^)/
そういう楽しみ方はあったんですけど、逆にスパイスで飲むっていう流れは東京の方が早かったんですよね。
カレー細胞
スパイス飲みのムーブメントとしては東京発だと思いますね。僕は2014年頃から大阪のスパイスカレーの方々と交流を始めたんですけど、その当時の大阪はやっぱりワンプレートで華やかなカレーというスタイルに向かっていて、逆に東京はカレーごとに器を分けて盛り付けるというのが定番だったんですよ。関西の人は粉もん文化が根付いているので混ぜることに抵抗がない。逆に東京は混ぜることはちょっと品がないっていう意識があったり。
カレーおじさん\(^o^)/
大阪でスリランカ料理が流行ったのも、スリランカ料理には混ぜる文化があるので、相性が良かったんでしょうね。
カレー細胞
元々「自由軒」の混ぜカレーともいわれる名物カレーとか、カレー雑炊みたいな見た目が特徴の「ニューライト」のセイロンライスとかありましたからね。基本的にワンプレートで華やかな一皿を作るっていうベースがあった分、スパイス料理をつまみにお酒を飲むという文化においては出遅れた感じがありますね。その代わり、カレーの作り方としては大阪の方がいろんな混ぜ方を試したり、違う国の文化をハイブリッドさせたりと積極的に行っていたので、どんどん進化していったという背景があると思います。
カレーおじさん\(^o^)/
大阪の方が基本的に考え方が自由だったというのもありますよね。東京の人ってどうしても本物志向が強い傾向にあって、大阪は「おいしければええやん」っていう考え方の人が多いですよね。そういうのも関係あるんじゃないかと思いますね。
カレー細胞
僕関西出身なんですけど、実際にそれは感じますね。いざ東京に来るとほとんど地方出身の人なので、東京に馴染もうとして何が正しいかを一生懸命探す感じがあるんですよ。東京ではこれがおしゃれなんだ、こういう味がインドの本場の味なんだ、って勉強熱心になる。それに対して大阪は言っても“広大な地元”なので、隣の家の子と同じことをしていたらつまらないといわれたり、そういう気質が昔からあるんですよ。それがカレーのスタイルにも出てますよね。ワンプレートでどれだけ個性が出せるかっていうところで勝負する大阪と、突き詰めた一品を個別に出す東京。でもそんな2つの都市のカレー屋が、2015年くらいから交流するようになったんですよ。
カレーおじさん\(^o^)/
丁度その頃にSNSが広まったので、繋がりやすくなったというのが大きいんでしょうね。
カレー細胞
2014年の段階では、東京のカレーマニアやカレー屋の人の間では、「大阪でこんなカレーがあるらしい」っていう情報を写真でしか知らなかった。「あれってなんだろう?」みたいな。人によっては、邪道だって言う場合もあったんですよ。2014年頃は、まだまだそんな感じでした。
カレーおじさん\(^o^)/
逆に大阪や地方在住のシェフの方が、全国のカレーを食べ歩く人が多かった気がします。それで、じゃあ(大阪から)来てくれたからこっち(東京)からも行こうかなっていう動きが出てきたのもありますね。
食べログマガジン編集部
たしかに、粉もんの街っていうイメージが強すぎて、大阪=カレーのイメージって全くありませんでした。
カレー細胞
そうなんですよ。だから2015年頃に、「大阪はカレーの首都宣言」したらどうかって提案したことがあるくらいです(笑)。それ程強い言葉で打ち出さないと意外と伝わらないんですよね。
カレーおじさん\(^o^)/
今なんて大阪市内で言えば、カレーのお店が粉もんのお店より増えたっていわれていますからね。そのくらい、大阪=カレーなんですよ。
カレー細胞
2000年以前は、関西の方が神戸経由でスパイスが手に入りやすかったんです。関西の人は昔、自分で本格的なカレーを作りたい人は神戸にスパイスを買いに行っていた。というのも、開国後から貿易港だった神戸と横浜にはインドの商人が居住していたんですが、関東大震災をきっかけに横浜で被災した方々が神戸に移り、神戸にインド人街ができたといわれています。そうなると、自分の国のおいしい料理が食べたくなるから、インド料理レストランも増えていくという流れで。今、東京の西葛西が経緯は違えど同じような状況になっているんです。
カレーおじさん\(^o^)/
そうですね。西葛西にインド人居住者が増えているんですけど、実はインド料理店が増えるまでには時間がかかったんです。それはカレーマニアなら知っているであろう事情があって(笑)。それを経て、今はインド料理店も増えていますね。
食べログマガジン編集部
どうして西葛西にインドの方が住むようになったんですか?
カレー細胞
2000年問題あたりのタイミングで、日本企業が採用したインドの有能なIT技術者たちが西葛西に住むようになったのがひとつのきっかけだといわれていますね。インドにはカースト制度があって、先祖代々職業が決まっているんですが、ITって新しい区分だからカースト制度に当てはまらないんですよ。つまり、ITを学ぶとその制度から抜け出せる。なので、当時はまだ比較的貧しい家庭が多かった南インド地方の若者たちがITを一生懸命勉強して、日本の有名企業に就職してジャパニーズドリームを掴みたいっていう流れがあったんですよね。そして、南インド地方出身の優秀な技術者がたくさん育ち、定住するようになったというわけです。
カレーおじさん\(^o^)/
そして、数年後には御徒町あたりにインド料理の名店がどんどん増えていきました。全部繋がっているんですよね。
カレー細胞
カレーを食べると社会情勢と文化背景が分かるっていう。僕、大学で文化人類学を研究していたんですけど、新聞読むより分かりますよ(笑)。
カレーおじさん\(^o^)/
ただカレー食べてるだけじゃ分からないですけどね(笑)。ちゃんと調べていくといろんなことが見えてきますね。
カレー界を象徴する2人が注目。いま行くべきはこのお店!
【カレーおじさん\(^o^)/の注目店その1】〈福岡〉「アフターグロウ」
カレーおじさん\(^o^)/
今ってSNSの進歩もあって、僻地にあるような店でも生き残れる時代になっていますよね。お客さんも、どこにお店があろうと食べに行くという人が増えていて、カレーを食べるためだけに旅行をする人もいるくらいです。そんな時代だからこそ是非地方のお店に行ってほしいということでおすすめしたいのが、福岡にある「アフターグロウ」です。シェフ自身も全国のカレーを食べ回っていて、色々な場所で受けた刺激がお店のカレーにすぐ反映されるから行くたびにメニューが変わっているんですけど、いつもおいしい。それに、全国のカレーイベントに参加したりほかの地域のカレー店との交流もあるので、どこに住んでいても食べられる可能性があるんです。そういう意味でも注目しておいてほしいですね。ただし、平気で一カ月くらいお店を休むときがあるので、お店のSNSで調べてから行った方がいいですよ。