「ビスク」とは何ぞや?
“海老、蟹など甲殻類を主材料にして煮詰めて作る濃厚なスープ”、或いは“海老、蟹、野菜の裏ごしで作った濃厚なクリームスープ”云々……が、(現代においての)大方の定説だ。
確かにレストランのメニューに記されている「ビスク」は、オマール海老だったり伊勢海老だったりと、甲殻類が主。だが、「ビスク」とはもともと鳩や鶏、野鳥などで作るポタージュだったらしい。というのも、17世紀のグランシェフ、フランソワ・ピエール・ド・ラ・ヴァレーヌのレシピ集『フランス料理の本』によれば、肉類のポタージュの一番最初に登場する料理が、なんと鳩のビスクだというのだ。
蛇足ながらもうひとつ書き足せば、ポタージュ=クリームの入ったとろみのあるスープが、私たち日本人が持つ一般的な認識だろう。しかし、フランスでポタージュといえば、スープ全体を指すことばだそうで、言うなれば、コンソメもスープ・ド・ポワソンも、そして、件のビスクにしても、すべてポタージュということになる。
セオリーを無視した、唯一無二の一皿
典型的な(甲殻類の)ビスクの作り方はこうだ。海老や蟹をセロリ、タマネギ、ニンジンといった香味野菜と共にオリーブオイルなどで炒め、白ワインやトマトジュース(或いはトマト缶)などと煮込み、殻ごとミキサーにかけて裏ごすか、或いはすりこぎ棒のようなもので軽く叩き潰した後、ムーランと呼ばれる濾し器で濾し、クリーム等を入れて仕上げる――。しかし、そのセオリーをほぼ無視。別のアプローチから生まれたのが、ご覧の一皿。「ボニュ」オリジナルのシグネチャーメニュー“オマール海老の瞬間ビスク”だ。
「僕が、料理に最も強く求めているもの、それは、全てにおいて香りなんです。ビスクにしても、味わいの深さよりも、甲殻類特有のあのちょっと芳ばしい風味を前面に打ち出したい。そう考えた末、現在のようなスタイルになりました」とは、オーナーの来栖けいさん。ここ「ボニュ」を始めてもうすぐ4年になる。
この“オマール海老の瞬間ビスク”は、オープンして半年足らずの頃から作り始めたそうで、まずは、見事なオマール海老を活きたままテーブルへとデモンストレーション。このオマール海老にしても、最高級品とされるフランスはブルターニュ産! 身が青みがかっていることから“ブルーオマール”とも呼ばれ、甘みが強くプリッとした身の食感が特徴だ。また、頭部に潜む濃厚なエキスから生まれる出汁の美味しさも見逃せない。そのまま生でも食べられるほど上質なブルーオマールを、殻も身も、全てを惜しげなく使ってスープを作る。それだけでも、充分、贅沢な話だろう。
一度テーブルで見せてくれるオマール海老は、大迫力「これから、このオマール海老をスープにしてお持ちいたします」。そう言って、来栖さんが厨房に持ち帰ってから僅か5分足らず。今しがた目の前で披露されたまるごとのオマール海老は、やや泡立ち、朱色を帯びたポタージュに姿を変えて運ばれてきた。この早業! 魔法でもかけられたかと思われるそのスープを、まずは一口。まるで生クリームが入っているような滑らかさ――これが第一印象だ。続いて、口中いっぱいに広がる海老の風味に思わず頰が緩む。海老を丸ごと使った煎餅をかじった時のような香り……といえば想像がつくだろうか。
芳ばしさとクリーミィさ。そして濃厚なようでいて軽い舌の余韻。それは、エスプーマにかけたような泡のせいかと思っていたら、 河島英明シェフの「使っているのは、オマール海老と水だけ」との一言で得心がいった。そう、なんの混じりけもない、ピュアであればこその味わいであり、それがまた、後味の軽さを生みだしているのだろう。
作り方はきわめて簡潔だ。それも“食材は手をつけた瞬間から劣化する”との来栖さんの信念ゆえ。オマール海老をぶつ切りにし、フライパンで炒めるわけだが、オリーブオイルで身の方から強火で焼き付けるように火を入れるのがポイント。香り立つ芳ばしい薫り、それを引き出すためだ。そこに水を入れ、フライパンの底に付いた(オマール海老の)汁や風味をこそぎ取ったら、水もろともオマール海老をミキサーに。殻を潰しつつ、ミキサーを回して粉砕。濾し器で濾せば、完成だ。
「スープの温度は60℃をキープしつつ回しています。温度が高すぎると分離するし、低いと、今度は香りが出ない。ミキサーの遠心力で繋がっているだけですから。高速で回すことで空気を含み、生クリームを入れたようなまろやかさが生まれるわけです」とは河島シェフ。
調理も素材もシンプルなだけにごまかしはきかない。食材自体の力がなければ、この一皿は成り立たない。活けのブルーオマールを使う所以である。
オマール海老ビスクは28,000円〜(税別・サービス料なし)のコースの一品。