【噂の新店】「芳尾

寿司好きが3人集まれば、たちまち情報交換に花が咲く。新店が続々とオープンするなかで「いい店を見つけた」と誰かが言えば、味や雰囲気、大将の経歴や人柄などでひとしきり盛り上がり「それはぜひ、行ってみなくちゃ!」となる。この1~2年で、特に寿司店の付加価値として語られるようになったのは、コースだけではなくおこのみの注文も可能か、一斉スタートか否か。そして非回転制かということだ。全国的に寿司バブルが続いており、予約困難店のプレミア感は増すばかり。プラチナシートを目指していそいそと出かける楽しみもあるが、通いやすい寿司店を多くの人が求めているのも、最近の傾向のひとつだ。

「こんな寿司店を待っていた!」と食いしん坊をときめかせる理由とは?

寿司好きのあいだで話題急上昇中。築地の裏通りに店を構える「芳尾」はカウンター7席の小さな店

築地と新富町の両駅にほど近い場所にオープンした「芳尾」は、平成生まれの店主が営むカウンター7席のみの小さな店。席さえ空いていれば、当日の予約も大歓迎。手が空いていれば1貫からでも握るという気概に頼もしさを感じる。

多くの寿司職人を輩出している「築地 寿司清」で7年働き、御成門の「冨所」で技を磨いたと聞けばおのずと期待が高まるが、若き大将は「自分の仕事をするだけです」と浮ついた様子はいっさいない。毎朝4時に仕込みを始めて、6時には愛車のHONDA ジャイロXで仕入れに出かける。「3輪なので安定感があって荷積みもしやすいんです」と笑う顔を見れば、市場でも“愛されキャラ”で通っているのだろうと想像ができる。朝食も取らず、7時には店に戻り仕込みの続き。昼営業がある日はそのまま客を迎えるというハードスケジュールだが、真剣に仕事と向き合う寿司職人ならば、ごく「当たり前のこと」。寿司業界の大御所がその心意気に魅せられ、すでに何度もこの店を訪れているという噂にも合点がいく。

「蒸しあわび」(22,000円のコースの一例)。酒と塩ひとつまみのシンプルな調味であわびの豊かな旨みを引き立たせる。むっちりとした食感のなかに磯の香りがただよう

夜のおまかせは22,000円からで、つまみは4~5品を出す気風のよさ。酒と塩でふっくらと炊いたあわびや、季節によっては東京の寿司店では珍しいメヒカリなども登場する。左党は間違いなく序盤から心まで握られる流れだが「ワインは置かない」のもひとつの流儀。飲み飽きない純米酒をメインに扱っており、お酒を飲む人も飲まない人もどうぞ、気兼ねなくご自由にという心遣いが伝わってくるようで、それもまた心地が良い。

「メヒカリ」は中骨までしっかり取り除き、酒と塩に30分ほど漬けて一夜干しに。酒飲みが泣いて喜ぶつまみも4~5品登場する

オープン当初、店先には名だたる寿司店から贈られた花がずらりと並んでいた。照れくさそうに「(冨所の)親方の知り合いの大将にお気遣いいただいて、ありがたいです」と客と話しながら手際よくつまみを盛りつけ、てきぱきと次の作業に取りかかる。

歯切れがよい「スミイカ」は表面に包丁をほぼ入れず、さっくりとした食感と甘みを楽しませる。粒立ちのよいシャリは岡山県の朝日米を使用

基本的にはワンオペ営業。スタート時間を同時に設定していないにもかかわらず、その動きはじつにスムーズで無駄がない。多少粗削りな部分もあるが、そこはご愛敬。客にお腹具合を聞きながら握りへ移行する流れもスマートで、堂々とした立ち振る舞いに職人としての気骨が感じられ、清々しい気分になる。

塩を加えた湯にくぐらせてから塩水で締める「ほっき」。半日冷蔵庫で寝かせることで身がきゅっと締まり、味のなじみもよくなる。茹でと生の中間ならではの食感を楽しみたい

ネタの切りつけが映える腰高の握りは大ぶりで迫力があり、その佇まいには剛毅さと瑞々しい色気が。サイズ感に比して腹にどしんとたまる重たさがないのは、塩や砂糖の量を抑え、赤酢2種を含むブレンド酢で風味を立たせるという“塩梅”の良さによるものだろう。歯切れがよいスミイカはじっくり噛みしめることで甘みがぐっと際立ち、浅めに締めた小肌はその旨みと粒立ちのよいシャリが一体となったのちにフレッシュな香気が鼻を抜ける。

サイズによって酢の締め具合も調整する「小肌」。体長10cm前後であれば浅めに締めてフレッシュ感を出す

「結乃花」から仕入れる鮪の漬けもシャリとの相性を考慮し、まろやかな酸味を生かしながらすっきりと端正な風味に。握りは10貫前後が供されるが「自分の仕事」を追求する魂が込められているようで、じんわりと胸が熱くなる。

鮪は「結乃花」から。軽やかな酸味が特徴的なシャリとの相性を熟慮し、酒とみりんを煮切りしたもので赤身を3日寝かせて漬けに
ゆっくりと低温で炊いた「穴子」に味を煮含める。ふわふわ、とろとろとした食感のなかに濃厚な旨みが

使い勝手のよさは客目線、仕事は徹底して自分目線を貫く

「よそはよそ、うちはうちという気持ちで自分の仕事をしていきたい」という芳尾信治さん。職人の仕事にあこがれ「築地 寿司清」へ。御成門「冨所」でも江戸前の技術をしっかり学んだ

他人に媚びることも自分に甘えることもしないが「できるだけお客さんの目線に立ちたい」という気持ちは人一倍強い。年齢的には若手だが、伸び代も気合いも十分。「ほかのお店がどうということを意識しないし、自分は絶対こうじゃなきゃという考えもないです。ただ、お客さんに何度でも来てもらえるようなお店でありたい。当日ひとりでもパッと来やすいんじゃないかなと思って奇数席にしたんです。おふたりのお客さんが3組入っても、1席は空いていますから」。寿司好きに、いい店を見つけたと思わず話したくなった。 

外観

教えてくれた人

小寺慶子

肉を糧に生きる肉食系ライターとして、さまざまなレストラン誌やカルチャー誌などに執筆。強靭な胃袋と持ち前の食いしん坊根性を武器に国内外の食べ歩きに励む。趣味は一人焼肉と肉旅(ミートリップ)、酒場で食べ物回文を考えること。「イカも好き、鱚もかい?」

食べログマガジンで紹介したお店を動画で配信中!
https://www.instagram.com/tabelog/

※価格は税込、サービス料別

文:小寺慶子、食べログマガジン編集部
撮影:菊池陽一郎