【噂の新店】「私房菜 吉田」
“私房菜”とは、広東語でプライベートキッチンを意味する言葉。住宅やマンションの一室などで、ホテルや高級レストランを引退したコック、或いは、料理上手な奥様などが気心の知れた人を自宅に招き始めた食事会が評判を呼び……というケースがそもそもの始まりらしい。その“私房菜”の名を冠した中華料理店が11月21日、六本木にオープンした。その名も「私房菜 吉田」だ。
本来、香港の私房菜は1日1組限定のおまかせコース、完全予約制のクローズドな店が多い。だがこちらは、オープン前から向こう2カ月分となる予約開放枠の1,000席が即座に埋まるほどの人気ぶりのため予約必至ではあるものの、コースはなくアラカルト主体。好きな料理をその日の気分で好きなようにどうぞ、というスタイルだ。
また、メニューは2カ月おきに、30〜40品の内の1/3が変わるため、次回訪れる際の楽しみが増えるのもうれしい。
「アラカルトって、おいしいものをその時々のお腹の具合に合わせて好きなように食べられる自由さがいいですよね。選ぶ楽しさもあるし」と、ヌーベルシノワの人気店「隼」の吉田隼之シェフ。そう、実はこの店、あの「隼」の姉妹店。イノベーティブ系中華の「隼」に対して、こちらの料理はグッとオーセンティック。トラディショナルなメニュー構成になっている。
隼之シェフに店を任されたのは、奇しくも同姓の吉田浩明シェフ。彼もまた、横浜の老舗「清風楼」が実家という生粋の中華料理人。「揚州飯店」や「中華バル サワダ」等々で料理長を務めてきた手練れでもある。
「ここでは、自分の作りたい料理、好きな料理を作っていきたいと思っています」と語る吉田浩明シェフ。だからこその“私房菜”のネーミングなのだとか。メニューを開けば、なるほどメニューはアラカルトのみ。その中で、吉田浩明シェフ肝入りの逸品といえば、品書きの最初に記されている「當紅脆皮鴿」こと「広州産鳩の香り揚げ」6,600円(1羽)だ。
丸鶏を揚げた“脆皮鶏”は、近頃すっかりおなじみになった感があるが、(日本では)乳鳩版を出す店はまだまだ少ない。「常時、鳩の姿揚げを食べられる店は、うちぐらいだと思いますよ」。そう胸を張る吉田浩明シェフ。以前の店では“脆皮鶏”もスペシャリテだったそうだが、今回は、アラカルト主体の店ということもあり、いろんな料理を味わってもらえるよう鶏よりも小ぶりな鳩で勝負。手間のかかる下ごしらえも手を抜かず、揚げ方にも自分なりの流儀がある。
吉田浩明シェフによれば「まず、塩とオリジナルの秘伝のスパイスで鳩に味を入れ、その後、皮目だけに熱湯をかけるんです。こうすることで皮に張りが出る」のだとか。だが、ここで下ごしらえは終わりではない。次に、その鳩に酢と水飴を混ぜた“皮水”を塗り、約1日干して乾かす……とここまでやって、下ごしらえはやっと一段落。こうした作業を日々繰り返す手間を考えれば、他店が予約制にしている理由もよくわかろうというものだ。
揚げるのは、もちろんオーダーが入ってから。下揚げした乳鳩をたっぷりの油に入れ、最初は泳がすようにして揚げ、徐々に油の温度を上げていくところがミソ。油温が上がっていくに従って、(フレンチのアロゼの如く)油を鳩全体に掛け回しながらしっかりと仕上げていく。この温度感が大切なのだ。
「温度計とかは使わないので正確な温度はわかりませんが、だいたい170℃ぐらいから揚げはじめ、最後は250~260℃ぐらいになっていると思いますよ」と吉田浩明シェフ。油温が上がるにつれ、油が爆ぜる音もチリチリと軽やかになってくる。それと共に、乳鳩はこんがりと狐色の輝きを放ち、心なしか次第に張りも出てくる。見るからにうまそうだ。
ちなみに、丸ごと揚げた當紅脆皮鴿は、食べやすくカットされて登場するのでご心配なく。アツアツにかぶりつけば、皮は“脆皮”そのものの軽快さ。パリパリの皮の内側から滲み出るジューシーな肉汁、鉄分のうまみ豊かな身のおいしさは格別。紹興酒はもちろん、赤ワインにも合いそうだ。
「當紅脆皮鴿」と並ぶ吉田浩明シェフのおすすめの一つが「滷水三品盤 潮州式スパイス醤油煮3種盛り合わせ」2,640円。
“滷水”とは、豚背ガラや鶏ガラ、家鴨を6時間余り炊いて取ったスープをベースに、十数種類のスパイスや醤油、砂糖、塩等々で調味したタレのこと。広東省や福建省、香港、台湾などでおなじみだが、発祥の地は潮州といわれている。
「私房菜 吉田」では、ハチノス、豚タン、合鴨の3種を用意。ハチノスは2時間下茹でして滷水と合わせ、豚タンはさっとボイルした後、滷水で20~30分煮込み、合鴨は低温調理で火を入れてから滷水に漬けるなどそれぞれ異なる下ごしらえをすればこその食感、味の染み具合に吉田浩明シェフの思い入れの深さがうかがえる。
思い入れのある一皿といえば「気仙沼産吉切鮫尾ビレ濃厚鶏白湯姿煮込み」9,900円(60g)/18,700円(125g)も吉田シェフの自信作。
「あえて広東風の上湯ではなく白湯で仕立てています。ゼラチン質の豊富な吉切鮫のヒレにはこの方が合っていると思うので」との言葉通り、肉厚のフカヒレのねっとりとしたゼラチンに、濃厚な白湯のうまみがよく絡み、味わうほどに豊かな滋味が味蕾の奥底に染み渡っていく。ざくりと歯が入る食感も上々だ。
味の要とも言える白湯への意気込みも半端ではない。なんと20ℓの水に入れる具材は、老鶏1羽に鶏ガラ、手羽先、もみじ等を合わせて10kgあまり! これらを炊くこと約6時間。
「沸騰したら弱火にして静かに煮込み、最後に1時間ほど強火にして、蓋をせずに3~4ℓ程度になるまで煮詰めています」と吉田シェフ。濃厚でありながら、少しもくどさを感じさせない白湯は、火加減の妙が光るさすがのうまさ。この白湯をベースに、味付けもオイスターソースに醤油、紹興酒のみといたってシンプル。もちろん化学調味料も使っていない。
このフカヒレに限らず、料理はいずれもスタンダードかつシンプル。低温調理にしてから5年ものの紹興酒に漬けた「花彫酔翁鶏 徳島県産阿波尾鶏の紹興酒漬け」2,200円や、宮古島・八重山地方から取り寄せる魚(取材日はスジアラ)を使用した「清蒸宮古魚 宮古島直送 鮮魚の香港香り蒸し」3,960円なども、ネギや香菜といった薬味をあしらうのみ。だからこその素材感が舌に伝わり、そのしっとりと柔らかな口当たりに、精妙な火入れが感じとれる。
料理はいずれも1皿2~3人のボリューム。1人では、やや量が多めゆえ、2人以上で行くといいだろう。お酒は、年代物の紹興酒のほか、シャンパーニュ、ワイン、本日の中国茶ハイなどバラエティも豊富。紹興酒、ワインはグラス1,650円~、シャンパーニュはグラス2,750円。ちなみに2時間交替制となっている。
※価格はすべて税込、サービス料(5%)別