【食を制す者、ビジネスを制す】

ブリヂストン創業者、石橋正二郎に見るピンチをチャンスに変える力

世界最大級のタイヤメーカーであるブリヂストン。各種タイヤ、自転車ほか、ゴルフ・テニスなどスポーツ用品も展開する日本の超優良企業の一つだが、創業者である石橋正二郎は、元首相の鳩山由紀夫氏、総務相などを務めた邦夫氏の鳩山兄弟の祖父としても知られ、鳩山家の資産の大半は、正二郎が残したブリヂストン株が中心だと言われた。

 

石橋家の東京の拠点がある麻布永坂町は、都心にありながら静寂な空間が形成されており、財界人の自宅が点在している。その中でも、政界と財界をつなぐ石橋家は日本のエスタブリッシュメントを代表する富豪ファミリーとしてゆるぎない地位を築いているが、正二郎が最初に手掛けたビジネスは足袋だったというから、人生どう転ぶかわからない。

 

石橋正二郎は、1889年福岡県久留米市で生まれた。実家は仕立物屋。次男だった正二郎は長子相続という商家のしきたりに縛られることなく、人生の選択は比較的自由だったから、当初は久留米商業学校(現・久留米商業高校)から、神戸高商(現・神戸大学)への進学を希望していた。しかし、心臓病を患っていた父から、長兄である徳次郎をサポートするように言われ、泣く泣く進学を断念。店を手伝うことになった。のちに久留米商業時代の友人だった石井光次郎(元衆議院議長、元朝日放送社長)が神戸高商に進学したことを「うらやましい」(『私の歩み』)と、大人になって述懐しているくらいだから、相当口惜しかったのだろう。

足袋からタイヤへ――目のつけ所と勝負強さ

その後、兄が陸軍に召集されたことで、店の一切を任された正二郎は、シャツやズボンなどを注文に合わせてつくり、猛烈に働き始めるが、どんなに働いても将来性を見いだせない状況に挫折感を味わう。そこで、商品の中で量産が期待できる足袋に目をつけ、足袋の単品生産に踏み切った。当初は、一家の商売を壊したと父親から大目玉をくらってしまうが、当時としては珍しかった自動車での宣伝と、それまでサイズごとに価格が異なっていた足袋を同一価格で販売したことで大成功し、販路を大きく拡大していった。続けて第一次世界大戦の好景気を追い風に足袋事業はさらに飛躍。だが、やがて反動不況を迎え、これまでの拡大路線の変更を余儀なくされることになる。

 

余った生産設備をどう活用するべきか。そこで正二郎が思いついたのが、炭坑などの労働者のために耐久性の良い履物を開発することだった。当時、労働者の履物といえば、わらじが中心で耐久性に優れていなかった。正二郎は足袋の底にゴムをつけることで、実用的なゴム底足袋(地下足袋)を開発。またしても飛躍のチャンスをつかむことになるのである。

 

しかし、これだけで終わらないのが正二郎のすごいところだ。今度はゴム工業の成長分野として自動車タイヤに着目し、国産化を目指そうとする。海外からも製造機械を輸入し、1930年に第一号のタイヤを試作、翌年にブリヂストンを創業した。だが、参入から3年余りの間に返品が10万本にも達した。それでもあきらめなかった。試行錯誤を繰り返しながら品質向上に努めた。その後、国産自動車が浸透するにつれて、国産タイヤの市場も拡大。モータリゼーションの進展と共に会社は成長し、今に至る道を歩むことになるのだ。

ブリヂストンのお膝元、京橋でアジフライ定食を食べながら

そんな正二郎氏が興したブリヂストンの本社は中央区京橋にある。京橋といえば、ビジネス街でありながら下町情緒のある粋な街としても知られており、ビジネスパーソン仕事や食事で行ってみたことがある人は多いだろう。

 

そんな京橋で私が好きなのが、割烹料理店「京ばし松輪」の名物ランチ「アジフライ定食」だ。数量限定70食で1,300円。ご飯のおかわり自由。11時半から食べることができる。70食限定ゆえ、並ぶしかない。一度11時くらいに行ってみたことがあるが、それでもすでに結構な行列ができていた。

出典:hidekomasaさん

店では、アジフライの食べ方として、大根おろしとワサビ、醤油を推奨している。ただ、私の場合は、醤油のみで食べるのが好みだから、最初は醤油をかけてすぐにかぶりつく。そしてときどきワサビを使う。サクッといけて、フワッとした食感。まさにパーフェクト。やっぱりアジフライっていいなと思う。

 

そんなアジフライをときどき食べながら、京橋に足跡を残す正二郎のことをふと考えることがある。足袋から地下足袋、そしてタイヤ事業に進んでいく過程は、いずれも危機的な状況の中から見いだした商品ばかりである。まさにピンチはチャンスだと言える。私たちも新たなチャンスを見つけようとするなら、それは順調さや成功のただ中にあるのではなく、失敗や挫折の渦中にこそ見つけられるものなのかもしれない。京橋に行って、アジフライ定食を食べ、ブリヂストンの本社の前を歩くたびに、正二郎のあきらめない強い信念を思い出し、人間の可能性を改めて感じてしまうのである。