【おいしいパンのある町へ】

Vol.9 東京・西日暮里「BOULANGERIE ianak!(ブーランジェリー イアナック)」

山手線の西日暮里駅で下車し、徒歩3分。閑散とした大通りから細道に入ると、魅惑的な赤い扉が目に入る。まるで吸い寄せられるように、ひっきりなしに人々が入っていく光景は、魔法のドアのよう。この扉の先にあるのが、パン業界で知らぬ人はない名店「BOULANGERIE ianak!(ブーランジェリー イアナック)」だ。

パン好きじゃないからこそ、パンに興味があった

オーナーシェフ金井孝幸さんはかつて、「メゾンカイザー」でチーフシェフを担当。そんな経歴から2006年に独立し「ブーランジェリー イアナック」をオープンすると、全国のパン職人がこぞって訪れたというエピソードも。4人ほどで満員になってしまう店内に並ぶのは、80種類ものパン。ただならぬパンへの愛情を感じる光景を前に、パン職人の道を選んだキッカケを尋ねてみた。すると返ってきたのは、「理由はないんです。昔も今も、特別、パンが好きだとは思ったことがないので」という意外な言葉だった。

 

 

高校を卒業後、フリーターとして、様々な職種を経験したという金井さん。24歳のときにたまたま見つけた求人に応募し、池袋のパン屋でアルバイトをはじめた。「幼少期にパンを食べる習慣がなかったからか、身近な存在じゃなかったんですよね。そういう意味で、興味があったのかもしれません。働き始めてからも、パンへの思いはとくに変わりませんでした。ただ当時の店長が、僕をとても可愛がってくれて。雑用係から始まり、いろいろと教えてもらううちに、パン作りという仕事が自分自身に定着したんだと思います」

 

アルバイトを含む2店舗での修行を経て、当時日本に上陸して間もない「メゾンカイザー」に転職。フランスの伝統製法で作られるパンを、素直に「おいしい!」と感動したという。「自分がこれまで食べてきたパンとは、まったく違った。こういう味のパンがあるのか!と驚きました」。若き金井さんに衝撃を与えたその味は、店に並ぶパンに継承されている。

 

下町で愛される創作パンが生まれるまで

「メゾンカイザー」でチーフシェフを務めたのち、パンを作りはじめて10年目を迎えた34歳のときに、独立を決意。生まれ育った千駄木の近所で物件を探し、現在の場所に出店。「他の土地は、まったく選択肢になかったですね。安心感があるので。落ち着くんですよ」。そしてこの立地によって、金井さんの作るパンは大きく変化を遂げることになる。

現在の半分よりも少ない30種類ほどのバリエーションで、ハード系をメインに揃えていたというオープン当初。一定層からは熱い支持を集めたものの、「ほかのパンはないの?」と尋ねられることも少なくなかったそう。「ご年配の方からは、もっと柔らかいパンを作ってほしいというリクエストが多かった。小さいお子さん連れの方も多いので、オーソドックスな菓子パンもあった方がいいな、と。惣菜パンを含め、1年ほどで種類を倍に増やしました」

 

 

しかし変化を厭わないどころか、喜びにつながったと話す金井さん。「楽しさで言ったら、ハード系のパン作りが一番ですよ。でも僕は、趣味でパンを作っているわけではないので。お客さんに食べてもらえなかったら意味がない。“おいしい!”と喜んでもらえることが、素直に、何よりもうれしいですね」

スタッフとの深い絆から生まれる、数々の新作パン

試行錯誤を重ねながら商品開発を行い、今では毎朝、80種類ものパンがラインナップ。さらに季節ごとに、旬の食材を使った限定商品が数多く登場する。豊かなバリエーションを生み出し続ける背景には、店を愛するスタッフたちの存在が欠かせない。

「求められるパンは常に変化し続けている。だから僕はスタッフに、自分の考えを押し付けません。自分が美味しいと思うものを作ればいい、と、伝えています」という金井さん。作業中もスタッフと仲良く談笑し合う様子は、まるで家族のよう。客として訪れた「ブーランジェリー イアナック」のパンに惚れ込み、現在店長を務める小川さんは金井さんを「とても柔軟で、スタッフの意見を尊重してくれる」と表現。「自分が開発したパンが認められて店頭に並ぶと、うれしいですよね。それが、みんなの努力に繋がっていると思います」

 

 

長時間低温発酵の製法に、ルヴァンリキッド(=液体の天然酵母)を使用する「ブーランジェリー イアナック」のパンは、深みのある味わいと弾力感が特徴的。平日は平均200人、週末には400人が買い求める絶品パンのなかでも、特段人気を集める商品がこちら。

10年以上、不動の1位!具材たっぷりのカレーパン

イアナックの名が全国に知れ渡るきっかけを作ったのが、お豆とレンコンのカレーパン。「当時は、カレーパンのフィリングに豆を使っているパン屋が少なかったんです。それがおもしろいと評価され、雑誌に取り上げてもらうように。遠くから足を運んでくださる方が増えましたね」

 

 

トマトペーストを多めに使ったフィリングは、ほどよい甘みと酸味がポイント。ふっくらと炊かれたひよこ豆、レッドキドニー、青うぐいす豆の3種の豆がごろごろと入っており、食べ応え抜群。フィリングにはレンコン、生地にはくるみが混ざっており、一口ごとに違った食感が楽しめる。240円。

割ったら最後、手が止まらない!病み付きの“パンドラの匣”

デニッシュにメロンパン、アップルパイなど、魅惑的な菓子パンのなかでもダントツの人気度を誇るパンドラ。真四角のフォルムがユニークなパンは、切り開いてさらにびっくり。たっぷりのチョコが入ったマーブル状の生地が登場する。

 

 

「甘めに仕上げた生地に、たっぷりのホワイトチョコ、カスタードクリーム、ミルクチョコレートチップを巻き込みます。トースターで温めて、チョコがトロトロの状態で食べるというお客様が多いですね。夏には一度、冷凍してから食べるのがスタッフの間で大人気。中心が凍った半解凍の状態で食べると、アイスケーキのような味わい」。253円。

ナッツ&フルーツを凝縮した、グラノーラバーのようなパン

カンパーニュの生地に、レーズン、クランベリー、ピスタチオ、アーモンド、ヘーゼルナッツを山盛りミックス。「ライ麦を30%使用し、存在感のあるナッツやフルーツにも負けない、弾力のある生地に。いちじく酵母を使うことで、ほんのりフルーティな風味が漂います」

 

 

手に取ると想像以上に重く、断面には具材がぎっしり! どこを食べてもナッツの風味&ドライフルーツの甘みが口の中に広がり、スプレッドいらず。朝食にはもちろん、ちょっと疲れた午後のティータイムに食べれば、エネルギーをチャージできそう。520円。

改良を重ね続ける、シェフ自慢のバゲット

金井さんが「パンのなかで一番好き」と宣言するのが、店の看板商品であるバゲット。「長年作り続けていますが、飽きることがない。自分のベストを生かせるよう、何度も改良を重ねています」

 

 

店長の小川さんはこのバゲットを一口食べ、あまりの感動から“この店で働きたい!”と思ったとか。「バゲットってどの店も、使う素材はあまり変わらないんですよ。それなのに、仕上がりの味が全然違う。口どけの良さ、風味、どれをとってもピカイチ。シェフの力量を感じられるバゲットは、ぜひ食べて欲しいです!」。246円。

全制覇したい! 旬のフルーツが薫るデニッシュ

定番のダークチェリー、洋梨、サツマイモと大納言、ピスタチオ、マロンに、季節限定のフレーバー2〜3種類。毎日7種類以上のフレーバーが並ぶデニッシュは、女性はもちろん、男性ファンも多数いるのだとか。「生地はクロワッサンと同じもの。折り込み回数を増やして、サクッと軽い口当たりに仕上げています」

 

 

初春の限定商品であるキンカンとイチゴは、春らしい色味に心が躍ること必至。店で手作りされるキンカンの甘露煮は、上品な酸味と苦味が、爽やかなエエペスクリーム(=フランス・ノルマンディー地方の発酵クリーム)とベストマッチ。イチゴには、甘酸っぱさを引き立てるマスカルポーネチーズクリームを使用。各227円〜。

金井さんに聞く、西日暮里付近の一押しグルメ

類豊富で飽きない!「讃岐うどん ぶっかけや」

パンを試食することはあっても、ご飯は別でしっかりと食べる派という金井さん。ランチタイムの定番は、店から徒歩圏内にある「讃岐うどん ぶっかけや」。「さっぱりとした喉越しが好きで、週に1回は必ず通います。最近ハマっているのが、肉味噌うどん。ほどよい辛さがクセになります。揚げたての天ぷらも美味しいですね」

美味しい肉が食べたくなった日の「エイジング・ビーフ」

月に1度、「ああ、お肉が食べたいな」と感じたときの定番が、熟成肉を扱う焼肉店「エイジング・ビーフ」。「僕の年齢になると、美味しい肉をちょっとずつ食べたい。ここは上質なお肉を、少量で頼めるのがいい。部位も豊富で、いろいろと食べ比べできるところも高ポイントです」

もっと知りたい西日暮里の“おいしい”

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取材・文:中西彩乃
撮影:山田英博