【食を制す者、ビジネスを制す】

古今東西のデキるビジネスパーソンたちは、食とどう向き合ってきたのだろうか。人気レストランから学ぶ、ビジネスのヒントとは? 食にまつわるあれこれを経済の視点から見る本連載。300人以上の経営者たちを取材してきた気鋭のジャーナリストであり、お酒大好きな著者が、毎回経済の視点から食の世界を切り取ります。

第1回 明治のビジネスパーソンは、いかに銀座の店を使いこなしてきたのか

 

 

私はバーが好きだ。20代の終わりくらいから、よく一人で行くようになった。目的の一つは大人の世界を見たかったからだ。いい店であればあるほど、カッコいい大人たちがやってくる。そんな大人たちを見ることで、私はお酒の飲み方を会得していったような気がする。とくに仕事ができそうに見える大人たちは、酒が強く、飲み方も独特だった。

昔の経営者で、少し変わった飲み方をする人がいた。その人の名を中上川彦次郎という。明治20年代、37歳にして三井銀行の事実上のトップに就いた人物だった。慶應義塾からイギリス留学し、官僚、新聞社経営、鉄道会社社長を経た当時の若手エリートだったが、大の酒飲みでもあった。

その飲み方が興味深い。毎日の晩酌を欠かさないのは言うまでもないが、飲んだ後も自宅で大瓶ビールの空瓶に日本酒を入れて寝室に入ることを常としていた。だが、それでも足りず、真夜中になって追加の酒を所望することもあったという。コップ酒でグイグイ飲むそうで、文字通り、クジラのように飲む鯨飲(げいいん)とも言うべき酒豪であった。そんな中上川の叔父に当たるのが、あの福沢諭吉である。諭吉も酒豪だったようで、日本最初の生命保険会社として設立された明治生命と契約する際、健康診断書には、「48歳、身長173センチ、体重70キログラム」、そして「壮年に至って鯨飲」とあった。

経営者、作家そしてグルマン

この明治生命は、諭吉が率いた慶應門下生がつくった会社である。当時のベンチャー企業のようなものだと言っていい。のちに明治生命で重役となる阿部章蔵も慶應義塾からハーバードに留学したエリートだったが、文学好きでペンネームを持っていた。

 

 

今は忘れ去られた感もあるが、その名を水上瀧太郎という。『貝殻追放』『大阪の宿』などの代表作を残した文人でもあった。

本格的な経営者でありながら、近代文学の作家として全集(『水上滝太郎全集』岩波書店)を残したのは、おそらく瀧太郎のほかにはいないだろう。現代で経営者兼作家として活躍した人物に、かつての西武百貨店を始めとするセゾングループを率いた堤清二(=ペンネームは辻井喬)が、その名を挙げられる。堤も自己を投影できるような瀧太郎を気になって読み、「創作の方向は違うが経営者を兼ねている作家がいてもいい」ことを発見したと回顧録(『叙情と闘争 辻井喬+堤清二回顧録』)に記している。

 

愛する店にはとことん尽くすのが、デキる男の条件

出典:まどん奈さん

話を戻せば、そんな瀧太郎も酒豪の1人で、仕事が終わると銀座や赤坂に出かけ、7~8合飲んでから原稿を書くこともあった。一番のお気に入りは銀座の「はち巻岡田」だった。大正12年の関東大震災時には全滅した銀座で早々に店を再開させたことで、瀧太郎はそれを題材に『銀座復興』を書き、終戦後には舞台化され好評を得ている。

巷では山口瞳の『行きつけの店』に登場する店として有名であり、今も名の知れた通人たちが通う名店の一つだ。それでも昭和8年頃は関西から進出してきた割烹に押され、江戸前であるはち巻岡田も一時劣勢に立たされた。そこでひと肌脱いだのが瀧太郎で、「岡田会」をつくって贔屓筋を新たに開拓していったという。

 

天ぷら屋で腹ごしらえしてから、ひとりでバーへ行こう

出典:Doheiさん

そんな瀧太郎がもう一つ、贔屓にした店が明治生命の元社員が始めた天ぷら屋だった。その肩の入れようは半端ではなく、客が来ないならと銀座進出を助言し、資金も無利子で融通してやり、客を連れてきて、扱う食器に至るまで目を配った。その店こそ、今も現存する銀座の「ハゲ天」である。

今も昔も飲食店に肩入れする経営者は少なくない。ここでは言わないけれど、滝太郎と同じようにお気に入りの店に通うだけでなく、お節介を焼いたり、ときには自分で店をつくって、裏のオーナーとして振る舞ったりする人たちもいる。

飲食店は経営者にとっては癒しの場の一つである。家庭よりも飲食店のほうが居心地が良いときもある。常連になれば、そこは自分のシマだ。とりわけ銀座に行きつけの店を持つことができれば、接待でこれほど心強いものはないし、見栄のはり方としても悪くない。

でも、若かったら、なかなかそうはいかないだろう。確かに銀座の店はどこも高い。だからといって、ありきたりな店ばかりに行っていてもつまらない。銀座に来たなら、銀座らしい店に行くのが一番だ。

例えば、1人で飲めるバーを探すくらいなら、20代や30代からでもできるはず。最初はちょっと緊張するけれど、1人であればマスターに顔を覚えてもらう確率も高まるだろう。

そんなとき、ハゲ天で天丼でも食べて、腹ごしらえしてから、1人でバーへ行くことをお薦めしたい。仕事が早めに終わったときや、休日のひとときに試してみてはいかがだろう? 少しでも知っている店が増えれば、あなたにとって銀座は癒しの場に生まれ変わるはずだ。

 

■今も昔も粋な大人が通う店。銀座を象徴する店のひとつ。

 

■老若男女でいつもにぎわう、気軽に行ける銀座の天ぷら店。