ページをめくり、お腹を満たす
ブックディレクター 山口博之さんが、さまざまなジャンルより選んだ、「食」に関する本を紹介する人気連載。気鋭のイラストレーター瓜生太郎さんのコミカルなイラストとともに、“おいしい読書”を楽しんで。
耳で味わうという方法と、その難しさと恥ずかしさ
Vol 2.『天国飯と地獄耳』
(キノブックス)著:岡田育
ごはんの味を決めるのは料理人の腕だけではない。器や内装、接客はもちろん、BGMや部屋の温度なんかも関係してくるかもしれない。エアコン直撃の席に座った時の不運には常に怒りが伴う(そんな席を本当は用意しちゃいけない)し、ドトールが思わず聴いてしまう選曲だったりもする。エッセイストの岡田育さんにとって、お店での飲み食いをより味わい深いものするのは、同じお店にいる他のお客さんたちの会話だった。
『天国飯と地獄耳』は、岡田さんがこっそり聞き耳を立て、レストランやカフェでたまたま居合わせたお客さんたちの会話を盗み聞きし、妄想混じりで仕立てたエッセイ集だ。「生きることは、食べること。外食とは、人前に己の生き様を、生の営みを晒すこと」と書くように、岡田さんが目にして、耳にした場面にはたしかに人生が詰まっていた。
昼間のカウンターの寿司屋で、マグロの握りを前に馬刺しが食べたいと話す「現役」感のすごい中高年の女性と物静かな男性の二人組。そこそこの料理、そこそこの居心地、そこそこの仕事をこなせるお店で聞いた、婚活SNSを利用する三人の女性の「そこそこじゃ、ダメ」という言葉。
本の後半、東京からニューヨークへと移住してからは、日本に比べお店紹介の比重が増してくる。英語で盗み聞きできる盗聴力を身につけるには、それなりに時間がかかるわけで、自然お店の描写が増える。でもそれだけではない。英語が不慣れな日本人というマイノリティが、多様な文化が日常レベルで混在するニューヨークで気づくのは食を通した都市の風景であり、帰国時には、東京はなんておひとりさまにやさしい都市なのだということにも気づくのだ。
岡田さんの聞き耳が立てば立つほど、聞こえてくる内容に反応が優先されればされるほど、そこで食べてるご飯やそもそもそこが何のお店だったのか忘れてしまう。それはある意味での臨場感のなせるわざなのだが、なんならいつもご飯冷めてるんじゃない?という余計な心配を呼び起こしもする(コロナビールはおかわりしていたので、盗み聞きは酒の肴に最高な模様)。一緒にご飯行きたいけれど、間違いなく目の前のおいしいものそっちのけで口より耳が動いていることだろう。
「食べ物を前にした人間は、みな等しく無防備な姿を晒し、そして互いを見比べて、時に羞恥に頬を染める」。人の振り見て我が振り直せ。聞いている分は聞かれていると心した。静かにこの本を読むふりをして、隣の会話に聞き入りたい。
『天国飯と地獄耳』
(キノブックス)著:岡田育
イラスト:瓜生太郎