トークセッション第1部:輪島塗師 赤木明登さん

「エスキス」のリオネル・ベカシェフ(左から3番目)とコラボレーターの皆さん

2024年元日に起きた能登の地震から5カ月が過ぎ、ライフラインが復旧し始めるとニュースに取り上げられる頻度が少なくなり、今、能登がどのような状況なのかが見えなくなってきます。何度も能登へ赴き、料理人である自分にとって能登ほど豊かで理想的な地はないと語る「エスキス」のエグゼクティブシェフ、リオネル・ベカ氏が3月に能登を訪れ現状を目の当たりにし、今の能登の声を届けなければと5月17〜20日の4日間、コラボレーションイベントを開催しました。

能登からたくさんの刺激をいただいたと話すリオネルシェフ

今回はコラボレーターに「茶寮 杣径(さりょう そまみち)」オーナーであり輪島塗師の赤木明登氏と北崎 裕シェフ、「ラトリエ ドゥ ノト」の池端隼也シェフ、「ヴィラ デラ パーチェ」の平田明珠シェフを招き、トークセッションと4人のシェフによるコラボレーションコースが振る舞われました。筆者が参加したのは17日のトークセッション。ファシリテーターはリオネルシェフと親交のあるクリス智子さんがボランティアで務めました。はじめに編集者の職を辞して輪島塗の弟子として輪島に移住してから35年の輪島塗師、赤木明登さんが「輪島塗が導く能登の未来」と称し震災直後から今の輪島の様子、新たに始めたプロジェクトについて語ってくれました。

(左)赤木明登さん、(右)クリス智子さん

1月1日、赤木さんは輪島を離れていました。地震を知りすぐに工房「ぬりもの」で働く6人の職人たち、「茶寮 杣径」や出版編集室のスタッフたちに連絡をするも、帰省した以外の人とはつながらなかったそうです。運転して輪島へ戻るも、2日は高速道路が閉鎖し金沢で止められ、輪島に入れたのは1月3日の夜でした。道路は凸凹で、地割れした間には多数の車が落ちているという凄まじい状況を目の当たりにし、不安でいっぱいの中辿り着くと、赤木さんの自宅と工房は倒壊を免れたものの中は散乱し、備蓄していた50貫の漆は流出していました。スタッフ全員の無事は確認できましたが、彼らの仕事場や住まいは損壊してしまったそうです。

震災後の池下さんの自宅兼工房

1月6日に漆器のベースとなる木地を作る木地師、池下満雄さん(86歳)の無事を確認しに行くと、住居兼仕事場は隣の崩れた瓦礫のおかげでかろうじて現存している状態でした。15歳からここで仕事をしてきた池下さんは、どうしてもここから離れられず震災2日後に心不全で入院されたと聞き、赤木さんは木地師たちの住まいや仕事場の再建に取り組みます。それが「小さな木地屋さん再生プロジェクト」です。

なだれ落ちた木地。中には明治時代に作られた貴重な物も

まずは木地を安全な所に運び出しました。杣径のスタッフの縁で岡山県の建築チームが再建を担いますが、輪島の街の風情を残すため、外観をそのままに修復するのは大変な作業だったと話します。

傾きをまっすぐに修復

4月中旬に工房が復活すると同時に、「ぬりもの」で働く2人が池下さんの技術を受け継ぐために弟子入りしました。建物だけでなく、輪島の伝統や技術を未来へ持続させなければと集まった寄付金を資本として株式会社木地屋を設立する計画だそうです。

耐震補強も万全に
体調も戻り修復した工房で働く池下さん

――赤木さん「補助金は申請して受け取れるまでに1年以上かかるので職人さんは待っていられず他の仕事に就いてしまいます。地震前から輪島塗は売り上げが落ち込んできていましたが、地震でトドメを刺された感じ。でもこの地震によって余計なものはふるいにかけられ、本来の輪島塗を甦らせる、起死回生のチャンスだと思っています。だから僕の役割は輪島塗や職人を守ること。そのために会社を作ることを考えています。会社として資金を集めることで職人に給料を支払える。輪島以外からや、若い人たちにも来てもらえる環境を作ります」

輪島塗の未来を熱く語る赤木さん

――クリスさん「赤木さんはもう一つ、輪島塗を持続させるために『茶寮 杣径』を開業されていますよね?」
――赤木さん「今、注目されているローカルガストロノミーの店で2023年7月にオープンしました。その日に取れた能登の食材を料理人が集めて何を作るか決め、それを輪島塗の食器で提供しています。古い家でしたが改装時に耐震構造をしっかりしたので建物は無事でした。しかし、地盤が斜めになってしまったので『なりわい再建支援補助金』を使って傾斜修復をして再開したいと思っています」
――クリスさん「電気は1カ月、水道は2カ月すると復旧したそうですが、光通信は4カ月過ぎるまでつながらなかったためインターネットは使えず、携帯は圏外で外部との連絡が途絶えているという状況下で赤木さんはどう過ごされていたのでしょうか」
――赤木さん「潰れた家の前で泣いていた人たちが2日後にはなぜか笑顔になるんです。人間ってあまりにも酷い状況に置かれると、心と体を守るために脳がアドレナリンやドーパミンを大量に放出していわゆる躁状態になるんですね。救援物資が届き、炊き出しも始まり、僕も隣人と酒を飲んだりしていたんですが記憶にありません。3カ月間くらいはあれもこれもやらなきゃと走り回っていたのですが、その後プツッと何かが弾けてしまって鬱になりました。感情がジェットコースターのように上がったり下がったりするんです。朝起きるのも苦痛、何もしたくないんです。今、そういう人たちが本当に多いです」

自身も被災しながら輪島塗の再興のために尽力する赤木さんの話は胸に刺さりました。今年は独立30周年という記念すべき年で、8月には「銀座和光 セイコーハウスホール」で展覧会を開催されます。