トークセッション第2部:池端隼也シェフ、平田明珠シェフ
続いて「炊き出し体験で知った料理人のミッション、あたらしい能登の食文化」について平田シェフと池端シェフが話されました。
――クリスさん「まずはお二人についてですが、池端シェフは輪島で育ち、専門学校と修業のため15年ほど出られて2014年に自身のお店をオープンさせるために戻られました。平田シェフは東京出身でいらっしゃいますが2016年に七尾にレストランをオープンされ、2020年に同じ七尾にオーベルジュとして移転リニューアルオープンされました。そしてお二人は震災後、早くから炊き出しに参加されていましたね」
――池端シェフ「地震が起きた時はスタッフと初詣に行って輪島へ帰るために車を運転していました。道が映画で観たようにバキバキ割れ始めて輪島へ帰れなくなりました。近くに穴水消防署があって非常食でカップ麺と水があったんです。電気は止まっていましたが同じように帰れなくなった人たちに僕の電気自動車でカップ麺を作りました。これが最初の炊き出しです。翌日、店に戻って事態を把握し最初は泣きそうになったのですが、すぐに自分に何ができるかを考えました。
まずスタッフや周りの店の人たちの安否を確認しました。そもそも1月2日から営業だったこともあり冷蔵庫には蓄えていた食材がたくさんあったので近所の飲食店に手伝ってもらい炊き出しを始めたんです。電気は止まっていましたが真冬なので食材に問題はなく、ガスボンベ式のカセットコンロで作りました。3日には1,000人ほどいる避難所へ料理を運びました。地震から何も食べていない人がたくさんいらっしゃって、本当に喜んでもらえて。能登は国道が1本しか通っていないので自衛隊も入って来られず、とにかく今、目の前にいる食べていない人たちのために炊き出しをやっていこうと決めました。契約農家や魚屋、飲食店に協力してもらってまずは3,000人分くらい用意しました」
――クリスさん「どこで炊き出しを?」
――池端シェフ「輪島市所有の建物で申請したのですが当初は許可されなかったんです。どうやら数が行き渡るはずがなく、問題が起こる可能性があるからという理由だったようですが、緊急だったので始めてしまいました」
――クリスさん「炊き出しの様子が『The Japan TimesS』に掲載されましたね」
――池端シェフ「はい。細かく取材してくれて内容の濃い記事で、特に料理人の絆について書いてくれたのはうれしかったです」
――平田シェフ「僕の店や自宅付近の建物はほとんど無事でしたが、歩いて5分も行くと地割れしていて家は倒壊していました。店の食器棚やワインセラーが倒れて、ワインは200本くらい、食器もかなり割れてしまいました。うちも2日から冷蔵庫にあった食材でカレーを作り近隣の人に配りました」
――クリスさん「記事に平田さんも出ていらっしゃいましたが、料理人同士の連絡は取れていたのですか?」
――平田シェフ「携帯はほぼ圏外でしたが電波が入る場所を見つけたらすぐにあちこちに連絡していました。うちのソムリエが熊本地震の時に金沢の料理人たちとチャリティ団体を作っていたので今回そのチームが中心となって支援のことや被害状況など情報交換してくれました。あとはそれぞれがSNSで発信して状況を知らせていたので、それを見た料理人仲間が手伝いに来てくれたり、物資を送ってくれました」
――クリスさん「地震直後と数カ月経ってからでは必要なものが変わってくると思いますが」
――池端シェフ「最初は命をつなぐための食事なのでレトルトやカップ麺でも良いとしても、輪島は高齢者も多いので1週間も経つと高血圧など健康に問題が出ました。ですからすぐに薄味に変えました。報道では料理人が一致団結して企画したかのようでしたが、お話ししたように連絡は取れていなかったので個々が持ち寄って小グループごとに炊き出ししていました。平田さんと会えたのも2月に入ってからでした」
――平田シェフ「僕は七尾市の指定避難所で炊事運営に携わっていました。料理ができる人はたくさんいたので、僕は手元にある食材をうまく回すことや炊き出しの環境を整えたり、衛生管理などに注力していました。池端さんと同じで昼に牛丼と豚汁、夜に牛カルビカレーといったように体調を考えない献立だったので、その辺りのコントロールをしました。もう一つの問題は支援物資でした。賞味期限切れや、誰がどう作ったかわからない料理がジップロックに入っていたり、水道が止まっているのに泥付きの野菜が送られてきたり。気持ちはありがたいのですが、食材には困っていなかったので……」
――クリスさん「今、何が必要なのか、支援する側が考えなければいけないことです。またタイムリーな情報も重要不可欠ですね」
――池端シェフ「実はこれからが辛いんです。街は復旧が進みましたがメンタルがやられるんです。僕も1週間前から誰とも会いたくなくなって。このイベントがあったので何とか出てこられたのですが、お金もないし、報道も減って忘れ去られるのではないかという気持ちにもなり、これからどうやって生きていくのかを目の前に突きつけられると鬱になるんです」
――平田シェフ「2月中は県外のイベントに呼んでいただき料理していたのですが、最初はコース料理を作る気持ちに戻れませんでした。でも何度か作っていくうちに炊き出しもコース料理も食べる人を幸せにしたいという気持ちは一緒だと思い、自分の使命は料理を作ることだと前向きになれました。2月に断水も解除され3月から営業再開しています」
――クリスさん「赤木さんが仰っていましたが、補助金が支給されるまでに1年ほどかかると。1年も何もしないで生きていけるほど貯金がある人はそういないですよね。震災直後はもちろんですが、本当はしばらくしてからのサポートが肝心なのですね」
――クリスさん「少し料理のお話を伺います。今回は能登の食材をたくさん使っていただけるようですがメニューはいつ決められたのですか?」
――池端シェフ「先週かな?(笑)。僕は、被災したけどがんばるぞ!と言ってくれている77歳の大村さんが育てた七面鳥を使います。それに合わせるのが自分たちで育てて干した椎茸です。それから平田シェフが能登の山で採ってきてくれた茗荷やクレソン、ハーブ、炊き出しに野菜を提供してくれた上田農園さんの野菜もたくさん使います。昨日東京に到着した時は料理以外のことを考えて落ちていましたが、久しぶりに厨房に入って今は気持ちが高揚しています」
――クリスさん「お二方のこれからのことをお聞かせいただけますか?」
――平田シェフ「僕は店も再開でき、生活も元に近づいていますが、仕事はなくなり、仮設住宅暮らし、ライフラインもまだ復旧していないといった不自由な生活をされている方が大勢います。ここにきて格差が広がってきているように感じます。良いところだけを捉えるのではなく地域全体が向上するように考えていかなければと思います。それと今回、池端シェフが来てくれたことが何よりうれしくて。東京に着いた時には精神的にダメージを受けているのが明らかで、料理どころじゃない状態で……。輪島でこういう料理を作るシェフは池端さんしかいない、能登の財産だと思うので何とか立ち直ってもらいたかった。でも仕込みをしているうちに楽しそうに料理を作ってくれるようになって。それを見られただけでも良かったなと、こういうイベントってすごいな、と思っています」
――池端シェフ「イベントはこれからなんだけど(笑)。2月中旬から炊き出しに輪島市から助成金が1日3食分で1,230円、給付されることになったんです。それを人件費に充てることができました。今は提供する数が減ってきたので、支援金で輪島市内の倒壊しなかった平屋を購入し、20人の炊き出しメンバーで地元の人たちが集まれる居酒屋を始めたいと思っています。飲食店の灯が街にともるだけで気持ちが明るくなると思うんです」
最後に両シェフから出た言葉は「食べる人がいてくれることがモチベーションにつながる」「料理をしている時が生きていると実感する」でした。地震直後は有り余るほどあった気力が数カ月経つと見えない先行きに消沈し、奮い立たせようにも自分ではどうにもできないこと、必要なものは時間と共に変化していくことなど、被災を経験していない筆者には想像できないことばかりでした。
起きることすら苦痛な赤木さんが輪島塗の存続に奮起していること、人と会うこともできなくなった池端シェフがこのイベントで「料理します!」と笑顔で答えたこと、池端シェフの料理する姿がうれしいと涙ぐんだ平田シェフに胸が締め付けられました。能登のために私たちができることは何か、今こそ考え、行動すべきなのです。
★イベントの収益はコラボレーターの皆様と、公益財団法人「北陸未来基金」へ寄付されました。
★池端さんがコミュニティ食堂の資金を募集しています。
「輪島に復興の狼煙をあげる飲食店『mebuki-芽吹-』を開業したい」
https://readyfor.jp/projects/mebuki-wajima
★赤木さんの工房で再建資金を募集しています。
「小さな木地屋さん再生プロジェクト」
北陸銀行 輪島支店 普通6044046
有限会社ぬりもの