ブックディレクター 山口博之さんが、さまざまなジャンルより選んだ、「食」に関する本、4冊をご紹介。子どもむけの絵本から専門書まで、それぞれの視点で綴られる食にまつわるエトセトラは、読めば食べることがもっと楽しくなるはず。家でくつろぎながら、または通勤のあいまに、“おいしい読書”を楽しんでみては。

1.『ふわとろ SIZZLE WORD』B・M・FTことばラボ(B・M・FT出版部)

食べログマガジンを読んでいる人で「シズル」という言葉を知らない人はいないはずだ。むしろシズル感溢れるレビューを量産する猛者も読者の中にはきっと多くいるだろう。シズルは、肉を焼く時のジュージュー音を立てる様を表現する英語の「sizzle」から来ている。

飲食のマーケティングリサーチを数多く手がけるB・M・FTは、シズルワードの博物館を目指して、シズルワードの蒐集、分類、編集を行う“ことばラボ”を立ち上げ、本書を編集、発行した。和洋さまざまな料理人からパンやコーヒー、農業、畜産、和菓子まで“おいしい“をつくり出す人びとに、仕事や活動の意義、そのおいしさや楽しみ方を言語化してもらった第一章に始まり、シズルワードを言語学的に、共感覚的に、写真表現的に、さらにネット上でのデータ分析として掘り下げた第二章。おいしいが画面から溢れる映画紹介の第三章を経て、巻末には利用頻度の高いシズルワードの字引きがついている。なかなかの労作だ。

 

個人的になるほどとうなずき、食べログユーザーにも興味深いと思われるのが2章の研究者たちによるテキスト。日本語を専門とし、認知言語学による共感覚的比喩や五感を表す語を研究する武藤彩加による「味ことばと共感覚」は、“甘い”という様々な意味を持つ言葉を取り上げ、比喩によってつながる1つの意味ネットワークであると説く。「甘いお菓子」から「甘いお酒」や「甘口のカレー」といった意味の転用は「類似」によっており、「甘いお菓子」から「(お菓子の焼ける)甘い匂い」は、味覚と嗅覚を同時に保有することによるメトニミー的な意味の転用だ。こうした複数の意味を持ちながら、横滑りしていく言葉のひとつにオノマトペもある。食前から口に入れた瞬間、咀嚼中、咀嚼後に分けた表には、あるオノマトペが表し得る感覚がまとめられている。例えば「サラッ」は感覚としては粘性のテクスチャーを表しており、食前は視覚的に粘性を感じ、表現している。口に入れた瞬間に舌触りの表現に横滑りし、咀嚼中では味覚の濃淡感、咀嚼後には喉越しの表現として「サラッ」になる。オノマトペ自体がとても多い日本語にあって、さらにその意味的なネットワークの広さや深さ、食にまつわる言葉の多様さには驚かずにはいられない。

 

もうひとつ、慶應義塾大学助教授(刊行当時)である福島宙輝の「味わい表現を豊かにするための言葉」にもハッとさせられた。ここまでアツアツやふわふわ、こんがり、風味豊かなどのシズルワードの意味を考えてきた中で、味を表現する際に注目すべきは動詞だと福島はいう。「甘味と酸味がとけあう」や「酸味が旨みを覆い隠す」など、日本語では動詞が関係性を語る言葉であり、味わいの変化や動きをよりいきいきと表現することができるようになる。

 

オノマトペの食べる時の意味変化と、動詞が表す味わいの状態変化や動きを組み合わせること。きっと上手なレビュアーはこの組み合わせを的確かつ長たらしくなく書く人のことなんだろうなと思った。うまく書くための表現以前に、おいしく食べるためにも、自分の感覚や生理の輪郭をはっきりしてくれる言葉は、とても強力なツールであるのは間違いない。この本は、そのツールをより強化してくれる。

2.『食の未来のためのフィールドノート』ダン・バーバー(NTT出版)

2018年4月1日、1952年に制定され、コメや麦、大豆などの主要作物について、優れた種子の安定的な生産と普及、ひいては食料の確保を国が果たすべき役割として定めた法律「種子法(主要農作物種子法)」が廃止される。その結果、種子の品種開発等を民間へ委ねることになり、効率化優先で在来種などの多様性が失われてしまうのではという懸念の声も上がっている。

『食の未来のためのフィールドノート』は、「ファーム・トゥ・テーブル(農場から食卓へ)」を謳い、味はもちろん種類や生産方法、産地、生育環境など徹底した食材への深い関心を持つニューヨークのレストラン「ブルーヒル」のシェフ兼共同経営者による、真においしい持続可能な食をめぐって考え、調べ、話し、試し、料理した10年間の記録。ダンのレストラン、ブルーヒルにはメニューがない。野菜から肉まで採れる自前の農場産を始め、その日調理可能な食材のリストだけが提示され、後はシェフのおまかせで料理を味わうお店だ。

 

上巻は、土をテーマに食の中心にいる小麦と土壌の話と、大地をテーマに、放牧された天然のフォアグラづくりや、人間が食べられないほど日々大量に生産されるチキンが取り上げられる。下巻では、海をテーマにクロマグロや理想的な養殖の現場、持続可能な魚介について各地を訪れ、種子のテーマではそのままずばり種子や「緑の革命」など単一栽培がもたらした弊害が語られる。

 

こうしたテーマを取り上げると、社会への問題提起ばかりでどうにも暗いのではと思う人がいるかもしれないがとんでもない。著者のダン・バーバーは様々な出会いの中で、食材となる生命をつくるまえに土をつくり、海をつくるような、未来へつながる生産者と共に仕事をしていく。その経験はいつも驚きとおいしい喜びに溢れている。「僕たちシェフは自然主義者でもある。あまりエラそうなことは言いたくないが、シェフは自然界をわかりやすく理解してもらうためにかなりの貢献ができる。おいしいニンジンは育った土壌の状態について教えてくれるし、放牧ラムは羊が食べた草について知る手がかりになる。こうした食材を使ってていねいに調理された自然界における結びつきを強烈に表現していると言ってもよい。」

 

星の付くシェフやレストランは、食の流行り廃りの発信源にもなる。種子法廃止後、日本人の食料が経済原理で動くならその命運の一端は外食が担うことになる。ダン・バーバーのようなシェフであり経営者が増えてほしいな、ブルーヒルでの食の経験は違う未来を感じられそうだなと、読後お腹が空いてきた。

 

3.『ホットケーキ できあがり!』
(偕成社)作:エリック・カール 訳:アーサー・ビナード

2017年の4月から7月にかけて世田谷美術館で大規模な回顧展が開催された、『はらぺこあおむし』で知られる絵本作家エリック・カール。1929年に生まれ、今年で88歳になったエリックは、68年に最初の絵本を出版するまでグラフィックデザイナーとして活躍していたが、絵を描くこと以外にも料理に関心があった人でもあるようだ。あるインタビューで「アーティストにならなかったとしたら、何になりたかったか?」という質問に、エリックはコックと答えている(でも料理はできないらしい)。

『はらぺこあおむし』を出した翌年の70年に出たのが本書『ホットケーキ できあがり!』であり、『はらぺこあおむし』が食べるという経験を通して、虫の成長を描いたものであることを考えると、コックという夢は遠い可能性だったかもしれないが、食べるということがエリックにとって大事なことであるのは間違いなさそうだ。

 

本書は、タイトルの通りホットケーキをつくるお話なのだが、実際につくる部分は全体の4分の1程度しかない。エリックが大事にしたのは、ホットケーキの素である、「こむぎことたまごとぎゅうにゅうとバターといちごジャム」がどうやって子どもたちのところにやってくるかだった。「きょうは でっかい ホットケーキが たべたいなぁ」と朝起きて考えた主人公のジャックはお母さんにホットケーキをお願いするが、忙しいお母さんはいろいろな材料の調達を逆にお願いしてくる。エリックは、ジャックに小麦を買いには行かせず、黄金色に輝く小麦を刈り取って籾殻を落とし、石臼で挽くことから描き、牛乳からバターをつくり、焼くために薪をくべて火をたくところまで子どもにさせている。しかも、小麦粉は卵を鶏からもらうために餌として食べさせ、牛から絞った牛乳はホットケーキの種だけでなくバターとしても使われるという、食べ物の流通と加工までをさらっと触れてくるあたりが実にうまい。

 

今の子供に、「これから小麦刈ってこい」とはそうそう言えないが、小麦粉が小麦であること、人間が食べるだけでなく飼料になることなど、食がどういう風景を巡って私たちの口にまでやってくるのかを見事に描いた、時代を超えて読まれるべき作品になっている。

 

4.『コーヒーは楽しい!』著者:セバスチャン・ラシヌー/チュング=レング・トラン 訳者:河清美(パイ・インターナショナル)

サードウェーブ・コーヒーのムーブメントとそれに伴う出店が落ち着きを見せても、いまだにコーヒー屋さんは混雑している。蔦屋書店とともに出店するスターバックスは、むしろ本体の本屋さん以上の人気にも見えてしまう。日本の喫茶店カルチャーからの影響と一杯ごとのハンドドリップによる果実(豆自体は種子)としてのコーヒーを楽しむ文化は、様々なメディアで特集が組まれ、コーヒーの知識を蓄えた人も増えたはず。ただ実際は、雑誌やウェブのボリュームでは簡単すぎてしまうか、詰め込みすぎで読みにくかったりすることが多かった。

フランスで大ベストセラーとなり2015年に出た日本語版も人気となり、一気にワイン入門本の定番となりつつある『ワインは楽しい!』(パイ・インターナショナル)のコーヒー版が本書『コーヒーは楽しい!』だ。“絵で読むコーヒー教本”とサブタイトルがあるように、全編イラストを中心とした構成で、そこに情報量としても十分なうえによく練られた適切な量のテキストが添えられる。筆者のセバスチャン・ラシヌーは大会で優勝するほどのバリスタでありながらエンジニア工学の教授の顔も持つ人物だが、文章に堅苦しさはなく、コーヒーの種類紹介でラテを“なかなか決められない人のための無難なコーヒー”と表現するなどユーモアや皮肉も忘れていない。

 

コーヒーの基本情報や雑学の第一章に始まり、淹れる、焙煎する、栽培するという日常の風景から遡行するように構成されており、バリスタチャンピオンらしく、そしてフランスの本らしく“淹れる”はエスプレッソの方が詳細。そのため日本で主流のフィルターコーヒーユーザーからするとやや物足りなさは残るかもしれない。とはいえ、例えばスターバックスで飲んでいるラテやモカが、エスプレッソのバリエーションコーヒーであることを考えれば、普段飲んでいる味の根拠を知るという意味では好都合とも言える。驚いたのは、湯温や圧力、抽出時間などエスプレッソの抽出理論の基本設定値が、レバーピストン式エスプレッソマシンを開発したアキーレ・ガジアが1947年に決めて以来、70年経った現在でも変わっていないということ(一杯当たりのコーヒー豆の量は変わっている)。豆の量による違いはあるが、日本でいう戦後に理論的完成が成されているというのは、様々な器具が登場するフィルターコーヒーと大きく違っている。

 

プロにとっては当然のことが、丁寧にわかりやすく幅広く書かれているということは、対象とする読者のレンジの広さ、基本図書としての重要性の高さを示している。知ったかぶりするとしてもこれくらいの知識は押さえておきたいし、しっかり実践すれば、ただの知ったかぶりは脱することができそうな“楽しい”コーヒー教本。

PROFILE

山口博之(やまぐち・ひろゆき)

編集者/ブックディレクター

1981年仙台市生まれ。立教大学文学部卒業。大学在学中の雑誌「流行通信」編集部でのアルバイトを経て、2004年から旅の本屋「BOOK246」に勤務後、16年まで選書集団BACHに在籍。公共空間からショップ、個人邸まで行うブックディレクションをはじめ、編集、執筆、企画などを行ない、三越伊勢丹のキャンペーンのクリエイティブディレクションなども手がける。最近の仕事に、新木場のコンプレックススペースCASICAのブックディレクション、小説家阿部和重のマンガ批評『阿部和重の漫画喫茶へようこそ!』の編集など。