目次
【シェフインタビュー・運命の食材との出会い】
名料理には名食材あり。その食材と出会ったからこそ誕生した逸品がある。気鋭の料理人たちが心血を注いで探し、辿り着いた運命の食材とはどんなものなのか。その食材との出会いから、完成に至るまでの道のり、そして食材への想いについてを語ってもらう。
「銀座レカン」の総料理長の、料理人としての本能に火をつけた牛肉―高良康之さん(後編)
6月にリニューアルオープンをして、話題を集めている「銀座レカン」。このグランメゾンの総料理長である高良康之さんが出会った、たぐいまれな牛、ジビーフ。前編ではその牛との出会いから、食材として魅了されるまでの話をご紹介したが、後編ではジビーフの調理法に対する姿勢にはじまり、“牛肉”という食材の現状とそれに立ち向かうシェフの想いについてに触れる。
牛肉のA5神話とはなにか?
「牛肉のランクでいえば、C1かC2くらいになってしまいますよ、ジビーフは」
と、「銀座レカン」総料理長の高良康之さんは笑う。
C1とは、農水省が設けている牛肉の規格基準のこと。ちなみにアルファベットは、ロース芯の面積やバラの厚さなどを計算し、可食部の多少を判断したもの。Cは「部分肉歩留まりが標準より劣る」ということを示す。もちろんAが歩留まりのいい肉だ。1~5までの数字は、脂肪の交雑具合を表したもので、5が最高、1が最低である。いわゆる“A5神話”は、旨いまずいの指標ではなく、この意味なのである。
農水省的見地からすればジビーフは価値の低い肉となってしまうが、逆に市場には決して出回らない、規格外の価値と個性を持つ牛肉であるかとも言える。
ジビーフの個性を最大限に引き出す調理法とは
そうした肉に高良シェフが真摯に相対することで、でき上がった料理が「完全放牧野生牛“ジビーフ”のロースト フランボワーズと赤ワインのソース」である。しっとりと焼き上がった肉に、深紅のソースが添えられた高貴な美しさは、まさにグランメゾンとしての一皿だ。
「ローストと言えば、肉料理の王道ですが、ジビーフの場合は低温と高温のオーブンに交互に入れながら過度にやけどをさせないというイメージで徐々に芯温を上げていきます。こうすることで、ほとんど脂のないジビーフでも、ぱさつくことなく、絹のようになめらかなテクスチャーに仕上げることができるんです」
さらに高良さんはこう続ける。
「ただ、低温調理のように均一にしっとりさせるだけではつまらない。せっかくの野性が死んでしまう。だから仕上げはアロゼ(高温の油をかけながら火を入れる技法)で焼き目をつけて香りを立て、肉に力を与えてあげるのです」
ジビーフの個性を最大限に引き出すために、考え抜いた技法なのだ。
「“各々の肉に寄り添って火を入れる”という考え方は、どの肉にも言えることですが、ジビーフの場合もっともっと素材に寄り添わなければならない。それこそが、野生の肉を料理するということなんだと思います。自然のものだけを食べて育っているわけですから、まるで脂をまとっていない。だからすごくデリケートに火を入れなければならないんです。運転に喩えれば、遊びの部分が少ないハンドルを操作するようなイメージでしょうか」
ベリーのソースを添えた理由は、ジビーフならではの透明感のある味わいに際立たせるため。ビネガーの酸では強すぎるので、べリーの自然な酸を添えたかったから。
猛々しい味わいを予想して食べてみる。
まるで肩すかしをくらったかのようだ。思い描いたワイルドな味やテクスチャーとは全く違う。むしろ生まれながらにして高貴な、なにものも汚すことのできない崇高な味わいを感じる。その風味にそっと寄り添い、澄んだ旨みを一層引き立てるソースに、まさに、高良シェフのジビーフを愛おしむ思いを見るようだ。
優れた食材に必要な、生産者と料理人をつなぐ“手当て”
高良シェフがジビーフに出会った直接のきっかけとなったのは、『やまけんの出張食い倒れ日記』で有名な料理評論家・山本謙治さんが主宰していた「赤肉サミット」で「サカエヤ」の新保吉伸さんと出会い、ジビーフへつながっていった。
「サカエヤ」は滋賀県草津市にある精肉店で、「銀座レカン」の近江牛の仕入れ先でもある。その近江牛たるや、ほかではなかなか到達できないクオリティの高さだそうだが、それは、元の牛の資質のもさることながら、屠畜してから精肉になるまでの、丁寧な処理の賜物だという。
最近は、「熟成」という言葉が独り歩きしているが、そもそも牛肉は屠畜してすぐは硬くて食べられない。水分を抜いたのちに、10日間~数週間熟成させて柔らかくするのは先人の知恵であり、どこの国でも普通に行われてきたことだ。その中で個体ごとの個性を見極め、温度、湿度、ブロックの大きさなどを変える塩梅こそが腕のみせどころなのである。
「必要充分な“手当て”をすることで、初めて優れた食材となるのだということを、『サカエヤ』さんと知り合って、本当の意味で初めて理解しました。もちろんその後の物流の水準の高さも食材のクオリティを担っています。そうして、納めてもらうことで、我々は料理をすることができるのですから」
つい、生産者だけに目を向けがちだが、生き物が食材となり、料理人にわたり、調理をされ、一品の料理となって、消費者の口に入るには、実に多くの人の手を経ているのだ。
「だからこそ、料理人である私が行うべきは、それぞれの肉の個性を尊重し、生かした料理に仕上げるということです。ジビーフであれば、まさに、その肉にどうやって合わせて調理をしていくかと熟慮すること。この香り、この肉質は、どこにもないオンリーワンなのですから。それを料理に仕立て上げるというのは胸おどる楽しみであり、やりがいです」
“素材に優劣はない。あるのは個性だけ”
レカンの厨房の冷蔵庫には現在、「サカエヤ」の近江牛をはじめ、北海道の短角牛、岩手県久慈・田村牧場の短角牛、九州のあか牛などからジャージー種まで、7~8種もの牛肉がそれぞれに出番を待っている。ジャージーやブラウンスイスなどの乳牛は、従来はグランメゾンで使用するなど、考えられないことだった。いわゆるブランド牛のA5を出しておけば安心という、保守的な考えが主流だったからだ。
【写真/手前:ジャージー牛のロース、左:北海道の短角牛のリブロース、右:近江牛のロース】
しかし、あまり知られていないが、乳牛とは雄が生まれたら、お金を払って処分してもらうものなのである。例えば、ブラウンスイス牛であれば、黒毛に比べてなかなか大きくならず、飼料代がかかるというのが殺処分の理由。ところが、20数カ月をすぎると、急に大きくなり、充分、黒毛和種に対抗できるまでに育つことが研究の結果わかってきた。現在、銀座レカンの冷蔵庫にあるホルスタインも雄のホルスタインを育てたものだという。「これまで廃棄されてきた乳牛をうちが買うことで、畜産業のビジネスモデルに風穴をあけることができれば、と思っています」と高良さんは言う。
「サシの入った黒毛和牛と赤肉では肉の味わいもテクスチャーも全く異なる。これは優劣ではなく個性であって、牛肉だからどうあるべきという型にはめることがナンセンス。ただ、グランメゾンである以上、牛肉のローストでも、それぞれのお客様のご要望に応えたいと思うのです。さまざまな肉の中から好みのものを選んでもらいたい、または、好みであろうものをおすすめできる体制でありたい。そして、それぞれの肉を最良な状態に仕上げるのが私の使命です。そうしたことに目を向け、再認識させてくれたのが、このジビーフなんです」と言う。
“素材に優劣はない、あるのは個性だけ”という高良シェフの言葉こそが「銀座レカン」の美味しさの源なのである。
高良康之:1967年、東京都生まれ。ホテルメトロポリタンの洗い場からスタートし、1989年に渡仏して2年間修業。ランド地方の2ツ星「パン・アデュール・エ・ファンタジー」でシェフから多大な影響をうける。帰国後、「ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トーキョー」副料理長、「南部亭」料理長、上野「ブラッスリーレカン」料理長を経て、2007年「銀座レカン」料理長に就任、現在に至る。銀座レカンのクローズ中の2年間で、各地の生産者を訪ね、日ごろの感謝を述べるとともに至宝の食材探しに注力した。
取材・文:小松宏子
祖母が料理研究家の家庭に生まれる。広告代理店勤務を経て、フードジャーナリストとして活動。各国の料理から食材や器まで、“食”まわりの記事を執筆している。料理書の編集や執筆も多く手がけ、『茶懐石に学ぶ日日の料理』(後藤加寿子著・文化出版局)では仏グルマン料理本大賞「特別文化遺産賞」、第2回辻静雄食文化賞受賞。
撮影:小野広幸