和製中華のホープ、担々麺

「月居」の担々麺 撮影:食べログマガジン編集部

“拉麺”、“冷やし中華”に次ぐ和製中華のホープとして、今や、その人気を不動のものとしつつある“担々麺”。いわゆる町中華は言わずもがな、ラーメン店から一流店、更には担々麺専門店も続出。中には、ミシュランの星をとった店もあるほどだ。

担々麺、「趙楊」以前と以後

この担々麺人気、これほどまでに高まってきたのはいったいいつ頃からだっただろうか――?と、拙い記憶をたどってみれば、どうも2000年前後。ミレニアムを迎えた頃からボチボチとその兆しが見え始めたような気がする。おそらく、口火を切ったのは(私の記憶する限り)四川料理の巨匠・趙楊(チョウ ヨウ)さん。1999年、八王子から新橋に移転してきた正宗四川料理の「趙楊」が、担々麺ブームの先駆者だったと思われる。趙楊さんの作る担々麺は、それほど衝撃的だった。

 

まず、ルックスからして全く別物。そう、この時初めて、「担々麺は、本来、汁が無く小碗で供されるものなのだ」ということを知ったのである。趙楊さん曰く「担々麺は、もともと屋台から始まった料理。天秤棒に七輪や鍋、調味料や麺などをぶら下げて売り歩く小腹凌ぎの食べ物だった」そうで、いわば四川のファーストフード。

サプレマシー
「趙楊」の担々麺   出典:サプレマシーさん

天秤棒を“担”いで売り歩いていたから“担々麺”の名がついたわけだ。更に、その味も強烈だった。白みがかった茹でたてのストレート麺を底から掬うようにざっくりと混ぜれば、麺は一瞬にして赤く染まり、と同時に、むせ返るほどに鮮烈な唐辛子の香りが立ち上った。まだ口にしてもいないのに、辛さで目が瞬(しばた)くほどだ。一口啜れば、麻と辣の刺激に陶然となり食べ進むうち様々な香辛料が口中で炸裂、複雑にして爽快な辛味が全身を駆け抜ける。その辛味のキレが素晴らしい。味のポイントは隠し味程度に加える酢。これが味のバランスを整えているのだ。

 

そんな衝撃の初体験から20年。最近は、当時より幾分辛味が抑えめになった気もするが、香りの高さは今も変わらずエクセレント。他店の追随を許さない。残念ながらこの「成都担々麺」、「趙楊」ではコースの一品として提供しているため、単品では食べられない(コース税込22,000円〜)。

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「梅香」の担々麺   出典:schnauzer401さん

が、しかし。その片鱗を味わえる店がある。神楽坂「梅香(メイシャン)」がそれだ。オーナーシェフの伊藤光恵さんは、この「趙楊」出身。彼女が作るそれは、師匠のセオリーを守りつつどこか女性らしい優しさを感じさせる佳品。税込5,400円コースの締めで味わえるほか、ここなら単品もOK。「四川担々麺」税込1,510円で楽しめる。

代々木乃助ククル
「蜀郷香」の担々麺   出典:代々木乃助ククルさん

また、四ツ谷三丁目「蜀香郷(シュウシャンシャン)」のオーナーシェフ菊島弘従さんも「趙楊」の卒業生。20歳の頃から10年間趙楊さんのもとでみっちり学んだ愛弟子の一人で、やはり趙楊さん譲りの汁なし担々麺を出す。メニューはコースのみゆえ単品では食べられないが、比較的手頃に楽しめよう。

 

担々麺はこの「趙楊」以前と以後で大きく変化した……と言ってもいいだろう。「趙楊」以前の担々麺といえば、おなじみの汁ありタイプである。考案者は、「赤坂 四川飯店」の初代にして中華の神様と言われた陳建民氏であることは周知の事実。その由来については、既にさまざまな媒体で紹介されてきている。

辣油は飲み物
「赤坂 四川飯店」の担々麺   出典:辣油は飲み物さん

それゆえ、詳しいいきさつは割愛するが、辛さへの免疫力と未知の食べ物への好奇心が今ほど強くなかった昭和の日本人向けにアレンジしたものだった。1950年代のことらしく、汁好きの国民性を考慮して、件の傑作が生まれたと聞く。

 

また、一説によればそれより以前の1940年代、汁ありタイプの担々麺は、早くも香港で生まれていたとの声もある。日本人同様、香港人も汁もの好きで辛味が苦手な傾向があるため、その可能性は充分に考えられる。同時発生的に広まったのかもしれない。だが、その後の影響力という点では、日本の担々麺が圧倒的に優っているようだ。

四川飯店系の担々麺は、スープが「セパレート」

閑話休題。この四川飯店系担々麺は、やがて神楽坂「芝蘭」の故・下風慎二シェフや原宿「龍の子」の安川哲二シェフ、「文琳」の河田吉功シェフなど「赤坂 四川飯店」で修業した料理人らによって、次第に巷へと広まっていく。更に、それら四川飯店出身シェフ達の下で学び巣立った、孫弟子とも言える若手の料理人達が、(本場スタイルの担々麺が市民権を得た)今もなお、その味を連綿と引き継いでいるのは興味深い。

 

さて、四川飯店系担々麺の大きな特徴の一つは、スープがセパレートになっている点だろう。芝麻醤と辣油が麺を覆う丼の表面は赤いものの、レンゲを入れると下は意外にもあっさりとした清湯系のスープで、つまりは2層になっているのだ。代々木上原「虞妃」、恵比寿「MASA’S KITCHEN」の汁あり担々麺などはまさにそれで、辛さや胡麻度の違いはあれど、いずれも秀逸。甲乙つけがたいおいしさだ。

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「MASA’S KITCHEN」の汁あり担々麺   出典:bottanさん

とりわけ(個人的に)気に入っているのは、西荻窪「仙ノ孫」の「タンタン麺」税込1,250円。ご主人の早田哲也さんは「龍の子」出身で、同店の「タンタン麺」も「龍の子」のテイストを受け継いでいる。早田さんによれば「ポイントは酢。全体的にメリハリのある味付けになるよう気をつけています」とのこと。味の構成は、酢、醤油、芝麻醤に辣油とネギ油。これを丼に入れ、スープをそっと入れていくわけだが、その調味料を入れる順番にコツがある。曰く「辣油を最後に入れること」だそうで、それによりスープの表面が見た目も美しい赤色に染まるわけだ。

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「仙ノ孫」の担々麺   出典:Gattoさん

綺麗な赤色は、見た目の美しさも重要視する四川料理ならでは。もちろん、辣油も芝麻醤も自家製。だからなのだろう。胡麻の香りがひときわ高い。麺を啜りこむうち、スープの旨味と辣油の辛味、加えて胡麻の風味が三味一体となって絡みあい、肉味噌のコクと相まって口中で豊かなハーモニーを奏でる。なるほどかすかな酸味がアクセント。全体の味を引き締め、均整のとれた味わいの余韻を舌に残す。一つ一つを丁寧に仕込んでいればこその品の良い逸品だ。

 

この四川飯店系担々麺をベースに、幾分アレンジを加え、独自の味を打ち出しているのが赤坂「月居」の「四川タンタン麺」だ。赤坂の路地裏、日本家屋をリノベーションした佇まいは、気軽に担々麺一杯とはいかぬような趣だが、ランチタイムなら野口英世1枚で楽しめる。

「月居」
「月居」   写真:お店から

胡麻が浮かぶ、赤みの強いオレンジの色合い、そしてわずかにセパレートになっているスープ等々、四川飯店系の片鱗を残しつつも、こちらはやや濃厚。スープ自体にとろみがある。聞けば、スープは鶏ガラと豚ガラ、豚足のトリプル仕立て。船倉卓磨料理長曰く「みじん切りにした玉ねぎと豆板醤、ニンニク少々を弱火でゆっくり小一時間ほど炒めたものを(スープに)入れている」そうで、それゆえの優しいとろみと自然な甘みが、決して出しゃばることなく担々麺全体の旨味の骨格を支えている。

「月居」の担々麺 撮影:食べログマガジン編集部

この炒めた玉ねぎと豆板醤に芝麻醤や花椒、唐辛子を合わせた担々ダレのほか、醤油ダレのかえしを入れ、肉味噌も豚ではなく牛を使用するなど細部にわたりオリジナリティが光る。鷹の爪や朝天唐辛子(四川の唐辛子)など三種の唐辛子と八角、桂皮で作る自家製辣油が、担々麺らしい香りと辛味を演出。食べ進めるほどに、辛味がじわじわとこみ上げ、酢の酸味や芽菜(ヤーツァイ・中国青菜の漬物)の塩味と渾然一体となって麺に寄り添う。強いインパクトはないものの、バランスのとれた味わいは、ふっと思い出すたび食べたくなるおいしさだ。

「Renge no Gotoku」の「排骨担々麺」

惜しまれつつ去年の11月に閉店した渋谷「亜寿加」、そして「支那麺はしご」の担々麺も、ルーツは分からないがセパレートタイプ。形状も四川飯店系のそれとよく似ている。「亜寿加」は、1968年の創業当初は中華料理店だったそうだから、ひょっとしたら、四川飯店の流れを汲んでいるのかもしれない。「亜寿加」の味を引き継ぐ「Renge no Gotoku」が、この7月渋谷にオープン。担々麺自体はかなりスッキリとした出来だが、排骨が載ると迫力が増す。これからの季節、冷やし担々麺もおいしそうだ。

 

後編へ続く。

文:森脇慶子