【運命の食材】

ビーツがメイン。珠玉の一皿ができるまで〜ピルエット 小林直矢さん

「ビーツ、好きなんです」と小林直矢シェフは言う。ビーツは、数ある根菜類の中でも、料理人を虜にしてやまないものの一つだ。それは世界的な傾向で、ヨーロッパでもアメリカでも、20~30年以上も前から、ビーツを主役にしたシグニチャーディッシュが数多く作られている。30年前といえば、日本にはボルシチに使う缶詰のビーツくらいしかなかった。しかしここ数年、レストランからのリクエストも多く、ビーツを栽培する農家が増えてきている。

 

小林さんは南仏の二つ星「オステル リー ジェロンム」やパリの「ガランス」で修業した後、虎ノ門ヒルズの一角にある、カフェとエピスリー(調味料やパン、野菜などを販売する食料品店の意)を併設した、トータルに食を楽しむスペース「ピルエット」のシェフを任され、今年で4年目を迎える。


素材の持ち味を素直に引き出す、引き算の料理が、小林さんの目指すところ。各地の農家を足で回って、これはという野菜を仕入れ、極力手をかけずに、シンプルながらインパクトのある一皿に仕上げる腕は確かだ。そんな中で、今回紹介してくれたのが、ビーツの一皿。それは真っ白な皿をカンバスに、ビーツの深紅で絵を描いたような仕上がりを見せる。主に使う素材はビーツのみという、究極の引き算の料理と言えよう。

消極的調理法で、ビーツの滋味を最大限に

「ビーツはもともと、ポテンシャルが高い素材です。どうしたら、その持ち味を最大限に引き出せるか…。実は、焼き芋のように、アルミホイルで包んでオーブンで蒸し焼きにするのが、最も簡単においしく食べる方法なんです。フランスではゆでるのが基本ですが、土が違うのか、長時間ゆでると味が抜けてしまう。そこで、ピルエットの料理として扱うには、蒸し焼きがベストと考えました。しかし、アルミホイルでは旨みが逃げないだけの消極的調理法。積極的に料理としての旨みを添加するには? そう、塩です。早速、塩に卵白を混ぜて塗り固める塩釜にして焼いてみました。しかし、これでは塩が効きすぎてしまう。あれこれ試して行き着いたのが大量の塩を加えたパン生地で包む手法です。これだと、旨みを完璧に閉じ込めたまま、ほどよく中まで塩味を浸透させることができるんです」と、この料理の生まれた経緯を語ってくれた。

海外のゲストからも賞賛されたシグネチャーディッシュ

塩パンに包まれて焼き上がったビーツを客席へ運び、ゲストの目が輝くのを見届けてからサービスのスタッフが、卓上で、パン生地を割るプレゼンテーションを見せる。その後、再度厨房へ戻され、スライスして皿に盛り付け、ピュレ状にしたビーツと、パン生地の一部を添えて出来上がり。ピュレはむいた皮と身の一部をゆでて、ミキサーで回し、さらにいちごを加えてピュレ状に整えたもの。まさに、ビーツのすべてを使いこなし、食す、一物全体の料理だ。


シャンパーニュ・ド・ドゥラモットの社長が食事に訪れたときに、この一皿を食べて、「『まるで、これはドゥラモットのロゼを飲むために生まれた料理ですね。』と言ってくれまして、それまで、コース料理の一部だったのですが、『ビーツの塩釜焼き、ピルエットスタイル』と名付けなさいと言われ、以来、アラカルトとしてメニューにのせています」と、ソムリエの水越義行さんも言う。確かにいちごがビーツのソースの繋ぎ役になり、ロゼシャンパンと完璧な相性を見せてくれる。マリアージュとはこのことだと納得させられる。

北海道真狩村・三野農園のビーツに出会って

「信頼のおける八百屋さんが、いろいろな農家の野菜で、これはと思うものを選別して持ってきてくれるのですが、その中に入っていたのが、北海道真狩村にある『三野農園』のビーツでした。これまであれこれ試してきたビーツとは驚くほど異なり、蒸し焼きにしたときの滋養分の凝縮感と、糖度の高さは考えられないほどでした。以来、この料理は三野農園さんのビーツなしでは作れない料理になっています」


どうしてそんなに味が違うのか、生産者の三野さんご夫妻に話を聞いた。
三野農園は、5代続く、真狩村でも老舗の農家。多くのレストランから信頼を得ている。ビーツを栽培し始めたのは5年前からだが、もともと、てんさい糖を育ててきた土地柄ゆえ、ビーツの糖度を上げるのはごく自然の帰結だったそう。糖度を上げるのに必要なのは寒暖差、そして適度な養分。だから糖度が最大限に上がるように、逆算して植え付けを始めるのだという。
常に素材に対して真摯に向き合い、なるべく産地まで足を運び、生産者と対面してきた小林さん。「三野農園さんにはまだ行けてないんです。今年の春はなんとかそれを実現したいです」と目を輝かせる。生産者との出会いがまた、小林シェフの料理に新しい息吹を吹き込むに違いない。

撮影:小野広幸