彦六鮓
夕刻、阪急六甲駅を降りて住宅街へと上っていくと、懐かしい景色があった。
崖下に木造2階屋があり「寿司 彦六 →」と、書かれている。昔は長屋だったという時を重ねた佇まいに息を呑む。
階段を下りて戸を開け「こんばんは」と、声をかけた。
「いらっしゃいませ」と、板場に立つ主人が返す。
年の頃は50代後半だろうか、温和な目をされた方である。
床は三和土、カウンターの上には屋台の面影を伝える小さな庇が設けられている。5席あるカウンターの端に座らせてもらった。
客側のカウンターの奥、つけ台との境には溝がある。昔の寿司屋はこの溝に水を流し、客が指先を洗っていた名残だという。
奥には座敷があり、上がり框に置かれた石は、ここから靴を脱いで上がる場所だということを示している。
「最初は、少し切っていただけますか」
「何を差し上げましょうか」
「平アジの酢締めとなまこ、平目の昆布締めをお願いします」
「はい。かしこまりました」
昆布との味の交換を先ほど終えましたという平目は、旨みをひっそりのせながら酒を呼ぶ。
酢によって脂が優しくなったアジが舌に切り込んでくる。
燗酒を2本飲んだ。
そろそろ握りをいただこう。
「イカとカンパチをください」
「はいわかりました。握りです」と、誰かに声をかけた。
するとお母さんが奥から出てきてイカを握る。おそらく80歳くらいだろう。
初代から受け継いで、長らく握っていたのがお母さんだったという。今は息子さんが握られているようだが、今夜はなぜかお母さんが握ってくれた。
お母さんにはイカに続いてカンパチ、タコ、きずしと握っていただいた。黙って淡々と握る老齢なお母さんと向き合う空間が尊い。
最後に穴子をお願いすると「塩ですかツメですか」と、聞かれた。塩でお願いすると、煮穴子を軽く焼いた穴子が握られた。
連れが太巻きをお土産に頼むというので、僕も便乗した。太巻きはお母さんの仕事のようで、真剣な顔をして巻いてくれている。
「今日中に食べてね」と、手渡してくれた。支払いは、酒を2本いただき太巻きも入れて、1人約7,000円である。
「ごちそうさまでした」。
別れを告げ、創業75年という「彦六鮓」を後にする。なんだか夢見心地で阪急に乗り、三宮まで帰った。
夜遅く、包みを開けて太巻きを食べた。巻きが軟らかすぎず、硬すぎず、薪炊きご飯を思いやった巻き具合だった。香り高い海苔に巻かれた中身は、極薄の薄焼き玉子、食感を残したゆでたての三つ葉、椎茸飴煮、煮穴子、高野豆腐、玉子焼き、干瓢の白煮という布陣で、それぞれの味わいを細やかに主張しながらも馴染んでいる。その中にあって三つ葉の香りが、太巻きにとっていかに大切かを教えてくれるものだった。
味のある手。シワシワのお母さんの手で、ほっぺたを包まれた。それは限りなく慈愛に満ちた温かい手だった。