目次
「世界のベストレストラン50」とは?
「世界のベストレストラン50」とは、2002年に英国のグルメ雑誌『レストラン』が始めたレストランランキング。文字通り、世界のトップ50のレストランを決めるアワードだ。そのランキングは、世界26の国と地域にいる40人ずつの食のプロである評議員の投票で決まる。毎年1回、投票結果を受けて、盛大な授与式が行われる。今年の授与式はシンガポールで行われた。その華やかなアワードの様子から、“食のアカデミー賞”とも喩えられ、ランキング自体が食のトレンドに影響を与えるまでになっている。
「世界のベストレストラン50」2019の結果を読み込む
120位までの発表と、51位以下のシェフの招待で盛り上がったアワード
筆頭スポンサーであるサンペレグリノが、創業120周年にかけて、例年の100位までの発表枠を今年は120位に広げました。同時に51位~120位までのシェフたちは自費で参加できることになり、アワード会場には例年になくシェフが多く、一体感のある盛り上がりが感じられました。これまでは会場でシェフを探すのも大変だったのに、今年は話す機会も多くあり、とても良かったですね。そこには主催者側の、ベスト50が単なるランキング発表の場ではなく、シェフのコミュニティ作りの場であるということを打ち出す姿勢も感じられました。欧米の一部で高まっている、ランキングに対する批判への対応とも解釈できるかと思います。
一番の変革はBest of the Best賞。シェフたちからも賛否両論
なんといっても、今回の一番のニュースは、1位を獲得したシェフは、殿堂入りという意味合いでBest of the Best賞に認定され、投票の枠からはずれるという仕組みが始まったことです。去年1位になった「オステリア フランチェスカーナ」はもちろん、過去1位になった店はすべて、ランク外のシード枠ということ。しかし、この決定については、シェフたちの中にも賛否両論あるようです。TIME誌のweb版では「1位になったシェフの何人かが積極的に働きかけた」とありました。具体的には「イレブン マディソン パーク」のダニエルなどが、各国のシェフに強く言ったそうですが……。一方「Noma」のレネや「ヒシャ・フランコ」のアナ・ロスなどは反対だそう。私も会場のシェフ何人かに聞いてみましたが、「オステリア フランチェスカーナ」のマッシモは賛成でした。
私自身は、これには良い面も悪い面もあると思っています。「新しい才能にどんどんスポットライトを当てていきたいという側面は、自分が運営側の立場であれば、すごく理解できます。ランキングの鮮度を保てますから。反対に一年ずつ順位が繰り上がっていけば、10位までのシェフは皆、10年以内には1位になることもあり得るわけで、長期的にはランキングの価値を下げる結果にもなりかねません。また、10年前に1位だった店と、去年1位になった店が同じBest of the Bestというくくりで区別がつかなくなることが、果たしていいのだろうか? という疑問も残ります。しかしながら、一般のメディアは1位しか取り上げないことも多く、そう考えると、毎年ニュースが生み出されるという利点は大きいですね。
1位の「ミラズール」は順当。その他の上位勢の動きは?
1位のフランスの「ミラズール」に関してはまず、順当だと言えると思います。シードで抜けた店を除くと、昨年最も順位が高かったわけですから。実際、ミラズールはコート・ダジュールで群を抜いて素晴らしい店だと思います。シェフのマウロの料理はイノベーティヴな要素は少なく、フランスとイタリア(特に隣接するリグーリアとピエモンテ)の伝統に根差したコンテンポラリーな料理です。
とても印象的だったのが、マウロが壇上に上がったときに、フランス、アルゼンチン、イタリアなどの国旗がパッチワークされた旗を持って現れたことです。彼自身はアルゼンチンの出身で、おばあさんがイタリア人、そしてフランスに店を構えています。そのようないろいろなヘリテージを持った人が1位になるというのも、ある意味ベスト50らしい現象だと思います。というのは、より多くの国の幅広い審査員に支持されることが意味を持つ投票システムだからです。パッチワークの国旗には、そうしたことに対するマウロ自身の感謝が表されているように思いました。
2位の「Noma」に関しては、リニューアルや移転すれば、歴代の1位でもランキングに復帰するのか? という運営側による線引きの問題はありますが、それはさておき、以前の店と比べると料理のコンセプトを深堀りして進化させ、さらに良い店になったというのが私の感想です。春、夏、秋~冬と3シーズンに分かれてメニューが組まれているため、少なくとも3回は行きたいと思わせるフォーマットにもなっています。
3位のスペインの「Asador Etxebarri 」は、ガストロノミーの世界に薪焼きという伝統的な手法を持ち込んだ独自性のある料理が魅力です。シェフのビクトルは料理人が出発点ではなく、独学で料理を学んだ人で、世界の料理界に与えた影響は大変に大きなものがあります。昨年のアワードがビルバオで開催されたことで、街中から1時間近くかかる山の中とはいえ、多くの評議員が足を運んだこともあっての過去最高位だと思います。しかしながら、立地条件や店のキャパシティを勘案すると、これ以上順位を上げることは難しいかもしれないので、来年の1位の最有力候補はやはりNomaということになるでしょう。ガガンも閉店しましたし、再来年あたりには、現在6位のペルーのセントラルがくるかもしれません。
アートオブホスピタリティ賞を受賞した「傳」の活躍
日本の中でも最も勢いのある「傳」が11位に食い込んだのはうれしい限りです。トップ10位内の悲願は来年以降への持ち越しとなりましたが、それよりも、「アート オブ ホスピタリティ」を受賞したことは、星の数ほどレストランがあるなかで快挙といえると思います。傳のホスピタリティは、世界が欲するホスピタリティを、はっきりと具現化したという意味で大変に意義があります。日本人の感覚だと割烹はどちらかというと緊張感があり、かしこまった場所という認識が多いかと思います。それに対して、傳には友人を自宅に迎えるかのような親しみやすさとエンタテインメント性があります。大きいテーブルで相席になったお客さん同士に会話が生まれ、仲良くなり、笑顔が広がる。このコミュニティ感も含めて世界で評価されているのだと思います。
次にどこのレストランがこの賞を獲るだろうかということを考えたとき、私なら新生Nomaを推します。レネが考案した、サービスと料理人が入り混じって客席まで料理を運ぶスタイルが料理業界に与えた影響はとても大きい。なぜなら料理人が客からのフィードバックをダイレクトに得ることができる上に、お客様のために料理を作っているという意識を育てることができるから。また、お客様の方も入れ代わり登場する料理人たちとのコミュニケーションを楽しむこともできます。この画期的なシステムは、アートオブホスピタリティとして評価されてしかるべきなのではと思います。
そのほか各国の興味深い動向
今年初めてコロンビアの「レオ」が49位にランクインしたことも、中南米の新しい可能性の一つと言えるでしょう。ひと昔前までは治安が悪く、観光客が訪れることすらはばかられた国でしたが、現在は見違えるくらいに改善されました。ガストロノミーの広がりが、国の発展の指標にもなっているかのようです。ブラジル・サンパウロの「カサ・ド・ポルコ」も新規で39位にランクインするなど、中南米からランクインするレストランの新旧交代が進んでおり、過渡期に差し掛かっているのだと思います。
香港の「大班樓 The Chairman」が41位に入ったことも興味深いですね。そもそも完成された料理体系を持つ中国料理の中でも、フュージョンではない、イノベーティヴな店がランクインしたということは、香港のダイニングシーンが深化してきたことを表していると言えます。今後は中国料理の可能性がもっと広がってくるのではないかと思います。
もう一つ、料理業界に貢献したシェフに与えられる「アイコン」賞を、アメリカが拠点のスパニッシュレストランのオーナーシェフ、ホセ・アンドレスが受賞したことは、ベスト50が見据える新しい方向性といえるかもしれません。彼自身は店の中で手を動かす現場のシェフではないのですが、ハリケーンなどの災害支援でリーダシップを発揮する社会派のシェフとして、また文化人としてとても評価が高い。そうした料理人に贈賞するということは、ベスト50が社会問題にコミットするという表明とも言えるでしょう。トップシェフの社会貢献への関わり方という点でも、一つの示唆になるかもしれません。
「世界のベストレストラン50」の行方
アジアのベストレストラン50に際しても言いましたが、ベスト50というアワードを、私はオリンピック的要素の強いものだと思っています。というのは、いろいろな国や地域の多様な店がランクインすることに意義があるものだから。逆に、本当に強い国だけが入ってはベスト50らしさが半減してしまいます。なぜ、そのような結果になるかといえば、各地域の評議員40人のうち1/4は毎年入れ替えるという決まりがあり、評議員全員が世界中を食べ歩いているかというと、必ずしもそうではありません。自ずと、自国や近隣の店を深堀りするという現象も出てきます。その中で、あまり知られていなかったような店がランクインすることもありますが、そうした情報にこそ、希少価値があります。ベスト50の主催者からは、このランキングの情報をデータベース
解説してくれたのは……浜田岳文さん
1974年兵庫県宝塚市生まれ。米国・イェール大学卒業(政治学専攻)。大学在学中、学生寮の不味い食事から逃れるため、ニューヨークを中心に食べ歩きを開始。卒業後、本格的に美食を追求するためフランス・パリに留学。外資系投資銀行と投資ファンドにてM&A・資金調達業務とプライベート・エクイティ投資に約10年間携わった後、約2年間の世界一周の旅へ。帰国後、資産管理会社(ファミリー・オフィス)社長を経て株式会社アクセス・オール・エリアを設立、代表取締役に就任。南極から北朝鮮まで、世界約120カ国・地域を踏破。現在、一年の4カ月を海外、6カ月を東京、2カ月を地方で食べ歩く。