日本最古級の映画館が、新潟県にあるのをご存じでしょうか? 近年リニューアルしたことにより映画ファンの間で話題になっているこの映画館の隣に、今年の春、カフェがオープンしました。開店後すぐに、映画を愛する人々の憩いの場となったこの店の仕掛け人は、飲食店経営未経験の60歳の女性。「なぜ突然カフェを?」そんな疑問と好奇心を抱いて、現地を訪れてみました。

ボランティアだった主婦が、映画館の隣にカフェをオープン!

新潟県上越市本町、北陸によく見られる雪よけの屋根・雁木造と町家が連なる商店街の一角に、1911年に開業した日本最古級の映画館「高田世界館」はあります。

 

2018年3月21日、「高田世界館」の隣に、町家カフェ「世界ノトナリ」が誕生。築約90年の町家を改装したレトロな雰囲気を生かした、落ち着いた温かな内装が魅力です。

 

このお店を営むのは、それまで飲食店経営とまったく接点がなかった大久保喜和さん(60歳)と佐藤範子さん(49歳)の2人。

常連客の一人だった大久保喜和さん

 

もともとは、「高田世界館」の常連客だった主婦の喜和さん。2009年ごろからNPO法人によって多くの名画がかけられるようになった「高田世界館」が大好きで、自宅から自転車に乗って通い詰めていた彼女は、いつの間にかボランティアとして働くようになります。そして、「軽食を楽しめるところは近くにないの?」という質問をたくさん受けるようになった喜和さんには、「高田世界館」のために、なにか自分ができないかという思いが生まれました。

日本一古い映画館である、高田世界館

走りだしたら止まらない!誰にも言わずに飲食店経営計画がスタート

喜和さんにとって、カフェはあくまで「行くもの」。まさか還暦を過ぎて「自分が経営する」なんて、想像もしていませんでした。

 

「飲食店を開くという考えは、最初は漠然としていたけれども、いざ始めようと一歩踏み出したら、事態も気持ちもどんどん前に進んでいきました」。喜和さんはお店を開くために、周辺の飲食店や「高田世界館」を運営しているNPOなどいろいろなところをって、話を聞きはじめました。

 

前々からカフェで働きたいとっていた友人の範子さんにも、「一緒にやらない?」と声をかけると、範子さんは二つ返事で「やりたい!」。走り出した2人は止まることなく、およそ1年半の準備期間を経て「世界ノトナリ」をオープン。飲食店経営の計画については、ほとんど誰にも言わなかったため、オープンの数月前に報告された喜和さんの娘は仰天したそうです。

店内の家具や食器には、知人から譲ってもらったものも多い。写真左の雑誌ラックは、なんと和箪笥の引き出しに足をつけたもの

メニューはすべてテイクアウトOK! 映画館で楽しめます

「世界ノトナリ」で提供されるメニューは、すべてテイクアウトOK! 飲食可の「高田世界館」で、上映中もおいしい料理や飲み物を楽しんでもらうための配慮です。

 

ほとんどの料理は、おもてなし料理の達人である範子さんの自信作レシピ。「手作りハムのサンドイッチ スープ付き」(税込750円)や「ほうれんそうとベーコンのトマトクリームパスタ」(税込750円)など、範子さんが長い時間をかけて味を磨き続けた絶品料理ばかりです。

 

一番の人気メニューは、たまねぎ、ナス、にんじん、しいたけ、セロリ、トマトソース缶、パプリカ、ピーマン、ズッキーニ、ひき肉など、具だくさんの「キーマカレー スープ付き」(税込700円)!

優しい味つけの具だくさんキーマカレーは、リピーターの多い看板メニュー。スープと野菜が付くのもうれしい

 

ほかにもキャベツとベーコンたっぷりのせトースト(税込400円)、「アイスクリームぜんざい 番茶付き」(税込500円)などちょっとした軽食やスイーツもそろっています。

 

コーヒーや紅茶には喜和さんの特別な思い入れが。同じ市内にある焙煎所「かぽたすと」で炒りたてのコーヒー豆を仕入れ、挽きたてのコーヒーを提供しています。紅茶は、喜和さんの出身地、三重県で生産された伊勢紅茶。「けれんみのない素直な味の紅茶は飲みやすいので、ぜひストレートで召し上がって」とほほ笑みます。

おいしいコーヒーを淹れるため、箱根まで遠征して講習を受けたという喜和さん。挽きたてのブラジルコーヒー(税込380円)は、五臓六腑に沁み渡ります。ハチミツヨーグルトにアイスクリームを乗せたデザート(税込200円)は、範子さんのお姉さんがイギリスで集めたアンティークの食器に盛って

和食器の器に乗せて提供されるのは、喜和さんが「粒を残しながら炊くのが大変!」とていねいに作ったアイスクリームぜんざい(税込500円)

 

デザートは、飲み物とセットにすれば、すべて200円追加で楽しめます。「お客さんがおなかいっぱい食べても、1,000円でおつりがること」を基準に決められた料金設定のため、とてもお得です。

シャッター商店街の中で、周囲に「飲食店は厳しいよ」と言われながら……

飲食店経営についてはまったく門外漢だった喜和さんと範子さん。手探りのまま見切り発車での開店でしたが、予想以上のお客さんでお店は賑わっています。11時半から14時くらいまではランチを楽しむ人々が殺到して、てんてこ舞いになることも。喜和さんの夫・正司さんの力も借りながら、料理を出して、お皿を下げて、洗って……ひたすらその繰り返しです。

 

映画を観終わった人が来て、「面白かった!」「また今度は何を観ようかしら」と話してくれる場所になっている「世界ノトナリ」。しかし、オープン直後までは、周囲の人々は「こんなところで飲食業なんて元が取れないよ。本当にできるの?」という雰囲気でした。

 

実は、高田世界館と世界トナリがあるのは、いわゆるシャッター商店街。雰囲気はよいものの「これは!」という観光名所はないまま過疎化が進んでしまい、通りに人が歩いておらず、街の元気はなくなっていました。「高田世界館」の現支配人である上野さんにも、「飲食業は大変だけど、大丈夫?」と心配されたそうです。

「世界ノトナリ」の店長・大久保喜和さん(左)と、「高田世界館」の支配人・上野迪音さん(右)

 

こんな風に、多くの人に「成り立たないのでは」と心配された「世界ノトナリ」でしたが、世界館の常連さんがそのまま来店してくれたり、近所に住む家族で食事に来てくれたりと、オープン後の客足は上々。さらに、おいしい料理や居心地のいいレトロな雰囲気も評判を呼び、口コミによって客足はますます増えています。町内会などの会合で利用される機会も増え、まさに地元に根付いたお店に成長しています。

「高田世界館」と「世界ノトナリ」の二人三脚で地元を明るく

今後は、「高田世界館」と連動したコラボ企画も計画中。半券を持ってきた人への割引サービスを行うなどの施策も考えているそうです。

 

最初は心配していた上野さんですが、映画を観終わったあと嬉しそうに「世界ノトナリ」に向かうお客さんを眺めていると「やっぱり映画館の近くにカフェが絶対にあった方がいい」という思いをくしています。「高田世界館」が県内外から映画好きを中心に注目を集めたことで、シャッター商店街に小さな明かりがともりました。そこに加えて、今、「世界ノトナリ」が人の集まる場所になりつつあることで、街全体を照らす光が少しずつ大きくなっています。

 

手探りで始めたカフェ経営。やめればよかったと思う時もあったけれども途中でやめなかった理由を「大好きな高田世界館の隣で仕事をする、というゴールが自分のなかで見えていたのだと思います」と振り返る喜和さん。

 

「高田世界館」を訪れる前後においしい料理に顔をほころばせながら映画の話をするお客さんがどんどん増えています。さらに、同じ商店街でお店を営む人からも、街に活気が戻ってきたという声も。

 

「還暦を過ぎて始めたので、最初は体力的にもきびしかったけれど、こうして人が集まる場所になっているのがうれしい」とはつらつと笑う喜和さん。大好きな場所で今日も、おいしいコーヒーと料理を提供し続けています。

 

取材・文・撮影/六原ちず