〈おいしい歴史を訪ねて〉
歴史があるところには、城跡や建造物や信仰への思いなど人が集まり生活した痕跡が数多くある。訪れた土地の、史跡・酒蔵・陶芸・食を通して、その土地の歴史を感じる。そんな歴史の偶然(必然?)から生まれた美味が交差する場所を、気鋭のフォトグラファー小平尚典が切り取り、届ける。モットーは、「歴史あるところに、おいしいものあり」。
第17回 東洋のベニス、商売人が育んだ港町「堺」へ
今の堺市がある地域は、大阪平野の大和川がはじまるあたり。その昔、先人たちがどこに住もうかと探して大和川を上ったと言われている。「東洋のベニス」と呼ばれたこともあり、いろんな意味で国際的な玄関でもある。今では、商売人の街というイメージが強いだろうか。
2018年に公開された、大阪商人の根性と笑いが満載の映画「嘘八百」はご覧になっただろうか。「幻の千利休の茶器」をめぐって繰り広げられる騙し合いを軽妙に描いたコメディドラマで大阪らしい損か得か人間の本性丸出しで笑い転げた。これも“商人街”の歴史を持つ大阪ならではなんだろうな。
まずは堺市役所の展望台から仁徳天皇陵古墳を眺める。鬱蒼とした森の広がる前方後円墳は想像以上にどでかい。近くにいた団体のガイドさんは、この古墳は眺めるものではなく下から仰ぎ見るものだったと語っていた。しかも古墳は仁徳天皇陵を中心に南の履中(りちゅう)天皇陵、北の反正(はんぜい)天皇陵と南北に3つ並ぶように配されている。つまり当時の前方後円墳は朝廷の力を内外に表す千メートル四方の巨大モニュメントとして存在をしていたのである。また、古墳が作られた5世紀ごろにはこの辺りまで海が入り込んでいたそうだ。よくこんなものを作ったものだ。
竹内街道の名称は、大阪と奈良との府県境である「竹内峠」に由来しているようだ。大阪府の一部と奈良県全域はその昔「堺県」と呼ばれていた。峠を越えて奈良県に入る。檀原市八木町にある八木札の辻は、江戸時代には大阪から伊勢参りへ向かう人で賑わい、宿場町として栄えた。いまでもその名残がたくさん保存されていた。
“飯炊仙人”が営む、銀シャリが主役の定食
銀シャリ ゲコ亭
僕のアメリカ時代のメンターだった元米国松下電器会長の岩谷英昭が、炊飯器でおいしいご飯を炊くコツをこちらの店のオーナーに伝授されたという過去があり、ぜひ行って来いと言われていたので「銀シャリ ゲコ亭」にお邪魔した。こんな素晴らしい食堂とは夢にも思わなかった。たぶん僕のなかで日本一だ。朝の9時から13時までの営業で朝飯・昼飯はここで食すと一日中幸せな気分になれる。火曜日定休で日曜日もやっており、家族連れで大にぎわいだ。
ここは昔の食堂を彷彿させるおかずが並んでおり、それらを自分で選んでおぼんの上にのせてレジで精算してもらう。どれもうまそうでついたくさん手に取ってしまう。特に目の前でおばさんが作ってくれている卵焼きは、だれもがつい選んでいた。肉じゃが・ぶり大根・ポテトサラダ・おひたしを取り会計してもらうと、適当に席に座ってくださいと言われた。座るとすぐさまお米が立っている熱々のご飯と具沢山の味噌汁が運ばれてきた。
ここのオーナーは飯炊仙人と慕われて、水の悪い梅雨時などは営業しないという徹底ぶりらしい。偶然にも仙人の村嶋孟(むらしまつとむ)さんに遭遇。どう見ても仙人にしか見えなかった。
コシヒカリとササニシキをブレンドし、大きな釜を使い、牡蠣殻を入れた水で炊く。何度も火の位置を変えて微調整することが秘訣だそうだ。まあ、我々凡人にはできない。