衰えるどころかヒートアップし続ける“肉食”ブーム。ステーキに焼肉、ありとあらゆる肉メニューがあるけれど、平成最後となるこの冬は日本が世界に誇る肉料理「すき焼き」で締めくくりたい。そこで今回日本における和牛の求道者であり伝道師、小池克臣さんをお招きし、すき焼きと牛肉にまつわるおいしい歴史から、肉解説、小池さんが愛してやまないすき焼き屋までを全4回にわたりご紹介! 第2回は、小池さんがここは押さえておいてほしいと前回紹介した、三重県松阪市にある「牛銀本店」のおいしさの秘密に迫ります。

 

第1回 牛愛溢れるすき焼き談義

第2回 必ず押さえておきたい「牛銀本店」

第3回 小池さんがおすすめする“すき焼き”店

第4回 食べログマガジン連載陣がおすすめする“すき焼き”店

 

第2回
最高のすき焼きを味わうなら、特産松阪牛を扱う店へ

 

小池さんが「牛銀本店」を薦める理由。
「すき焼きの食べ方や割り下の味付けうんぬんの前に、まず牛肉が違います」と、小池さん。すき焼きに向いているのが黒毛和牛であり、その中でも松阪牛が、さらにいえば、「牛銀本店」で扱っている特産松阪牛が、脂の質、甘み、やわらかさ、すべてにおいて最上級だという。「『牛銀』は、松阪近郊の農家さんを訪ね歩き、牛を育てているところから見て、ほんとうにいい肉を仕入れていらっしゃる。こんなすき焼き屋は、ほかにないと思いますよ」

 

きめ細かい肉質、サシの入り方、脂の甘さ。特産松阪牛はすべてが別格

すき焼き 「特選」 寿 17,280円。野菜、卵込み。+324円で、ごはんと味噌汁がつく。甘さが苦手の方には、白醤油、昆布だし、コショウで味付けした、オリジナルの“汐ちり”も。その他、すき焼きは7,560円~。(別途サービス料10%。価格はすべて税込み

 

ほかではなかなか味わえない特産松阪牛は、店主の小林甲児さんが、仕入れ担当者と松阪近郊の肥育農家を訪ね、長年の信頼関係で、厳選した松阪牛を仕入れている。子供を産んでいない雌牛に限られる松阪牛の中でも、兵庫県産の子牛を松阪に連れて来てから更に900日以上という長い期間育てられたもので、生産者や生産年月などが記された証明書がメニューにはさまれている。写真の肉は、多気郡で肥育し、松阪肉牛共進会への入選牛も出している畑畜産の特産松阪牛だ。きめ細かい肉質、適度に入ったサシ、脂の融点の低さなど、その最上級の松阪肉の味わいが、すき焼きで際立つ。店ではこうした牛を一頭買いしている。

牛肉は、すき焼き鍋に収まる、小ぶりなサイズのサーロインなどを、厚めにカットする。

 

特産松阪牛に限らず、「牛銀」で出される牛肉は、すべて厳選されたA4ランクの松阪牛で、専用の鉄鍋にすっぽりと収まる小ぶりのものを選んでいる。「サシの多い、少ないより、全体のバランスと肉質を見ます。これらを特産牛と同じように、専用の熟成庫で長期熟成させて、お出ししています。最近はあまり熟成をさせないお店もあるようですが、うちでは必ず熟成させています。程よい熟成は肉のうまみが増してきますので」と小林さん。

 

すき焼き用の牛肉は薄切りを出すところも少なくないが、ここは厚めにスライス。その肉を、割り下は使わず、砂糖と醤油だけで味付けして焼くのが、松阪流だ。専用の鉄鍋で牛脂を溶かし、松阪肉を入れたら、砂糖を振って醤油を回しかけ、さっと火を通したところを、スタッフが溶き卵に落としてくれる。砂糖と醤油は、ほぼ同割。箸でもカットできるほどやわらかな牛肉は、上白糖のすっきりとした甘みが、脂の甘みを引き立て、脂っぽさを少しも感じさせない上品な味わいだ。

 

牛肉のうまみたっぷりの昆布だしで、蒸し焼きにした野菜もごちそう

長ネギと一緒にタマネギが入るのが、当地流。三つ葉の香りもアクセントになっている。

 

野菜は肉と一緒に入れず、肉を焼いた後にそれだけを焼く。種類は、ずっと変わらず、タマネギ、ニンジン、エノキ、三つ葉、青ネギ。青ネギ以外の野菜を入れたら、昆布だしをほんのひと回し。鍋に残った牛肉のうまみを溶かし込んで、蒸し焼きのような状態で火を入れる。昆布だしに使っているのは、北海道産の厚葉昆布。

 

牛肉のうまみと野菜の甘みを含んだ締めの豆腐は格別。

 

鍋の締めは、青ネギと豆腐。脂の質がいいので、牛肉のうまみをまとった野菜がおかわりしたくなるほど、本当にうまい。牛肉のうまみに加え、ニンジン、タマネギといった野菜の甘みをたっぷり吸った豆腐もまたしかり。最後に残った牛脂も「表面に醤油の焼き目がカリっとついて、おいしいですよ」と、小林さん。この牛脂をごはんにのせて楽しむ客もいるそうだが、それもまた、上質な松阪肉ならでは。

 

卵は地元・三重産のものから、牛肉の味を邪魔しないものを選んでいる。軽く溶くのがおすすめ。

 

砂糖と醤油で味つけした牛肉の味をまろやかにし、完成させるのが、溶き卵。「牛銀」では、地元・三重県産の卵の中から、「牛肉の味を邪魔しない、卵黄の味が濃すぎないものを選んで使っています」と、小林さん。松阪牛らしい味わいが口にした瞬間に広がるのも、卵の選び方にまで心を砕いていればこそ。

すべて、和服姿のスタッフが手際よく、焼いてくれる。毎日、牛肉を扱っているだけに、サービススタッフもまた目利きだ。

松阪牛の発展とともに歩んできた明治期創業の老舗

昭和初期の建築だという旅館を改装した店舗。1階には精肉店、向かって左隣には「洋食屋牛銀」も併設。地元客が多いという洋食屋では、ステーキ、カツレツ、ハヤシライスなど、松阪肉を使った洋食メニューが手軽に味わえる。

 

松阪駅から、松坂城跡に向かう一画。城下町の名残を感じさせる町並みに溶け込むかのように佇む「牛銀本店」は、明治35年の創業。農家の三男だった小林銀蔵氏が、「都会で商いを覚えたい」と上京。当時、流行りつつあった牛肉に可能性を見いだし、浅草の牛肉料理屋「米久」で、肉の扱いなどを学び、故郷で精肉店を構えたのが始まり。「牛銀」の銀の字は、この初代の名から。東京で流行り始めていたとはいえ、このあたりでは、牛肉など、まだあまり食べられていなかった時代。「肉屋なんてとんでもないと、実家からは勘当同然だったと聞いています」と、小林さん。それでも、ぶつ切りが当たり前だった当地で、肉を部位ごとに分けて筋を引き、薄くスライスして販売する手法は、東京仕込みの“平切り”として評判を呼び、繁盛する。やがて、「牛鍋と牛めし一銭五厘」の暖簾を掲げ、現在に続く牛肉料理の店を始めたという。

松阪牛の品評会である「松阪肉牛共進会」で、過去に「牛銀」がせり落とした牛の古い写真や、大柄で力士“嘉美風”として巡業にも出向いたという二代目・銀之助氏や相撲にまつわる品がいくつも店内に飾られている。

 

初代が果たした役割は、牛肉料理を広めただけにとどまらない。牛肉の良しあしを見極める目を養うとともに、優良牛の育て方も東京で学んでいた銀蔵氏は、“東京でも通用する牛を”と、優良牛を飼育する方法を農家に伝授。少しでも良い牛ができれば、高値で買い上げ、その後の松阪牛の発展にも大きな役割を果たしている。そして、その“農家とともに”という姿勢は、4代目の甲児さんにもしっかりと受け継がれている。


案内されて広間に向かう折、キシキシと鳴る廊下もまた、趣があり、すき焼きへの期待が膨らむ。

 

創業の地からひと筋南側。昭和初期に建てられたという旅館を改装し、現在の地に移ったのは昭和7年のこと。廊下に設えられた水道や中庭、大広間など、旅館の名残をとどめる建物は、修繕を少しずつ加えながら、いまに続いている。昔の牛鍋屋はこんなだったのだろうかと、思いを馳せながら楽しめるこの空間も、すき焼きの名脇役。「いろいろ手を入れなければならないところがあるんですが、何とか残していきたいと思っています」と、小林さん。

 

鍋料理というだけでなく、牛がもりもりエサを食べる冬は、おいしい牛に出合える可能性が高いという。まさに、いまが食べどき。特産松阪牛は、東京でも1週間に1頭入るかどうか、というなかなか口にできない希少な牛だけに、わざわざ足を運ぶ価値あり。“お伊勢さん”こと、伊勢神宮を訪れた後、足を延ばすのもいい。松阪もめんの法被姿や和装のスタッフが、笑顔で出迎えてくれる。

しっとりした雰囲気をたたえる若女将だが、実は、カメラの前で緊張気味の4代目を、カメラ越しにひょうきんなポーズで笑わせるチャーミングな女性。

 

 

〈プロフィール〉

小池克臣(こいけ・かつおみ)
横浜の魚屋の長男として生まれるも、家業を継がずに、外で、家で、肉を焼く日々を送る。焼肉を中心にステーキやすき焼きといった牛肉料理全般を愛し、ほぼ毎晩、牛三昧。さらには和牛そのものの生産過程や加工、熟成まで踏み込んで研究を続ける肉の求道者。著書に『肉バカ。No Meat, No Life.を実践する男が語る和牛の至福』(集英社刊)。公式ブログ「No Meat, No Life.」。

小林甲児(こばやし・こうじ)
明治35年創業のすき焼き専門店「牛銀本店」の4代目。学生時代の弁当は、毎日、牛肉(といっても高級な松阪牛だが)とごはん。クラスメートの色とりどりの弁当に憧れたことも。高校卒業後、東京の鉄板焼きフレンチで10年ほど修業した後、故郷に戻り、店を継ぐ。現在は、松阪もめんのはっぴを着て、隣接の洋食屋、精肉販売店も仕切っている。

 

撮影:山田英博
取材・文:齋藤優子