【食を制す者、ビジネスを制す】

ガッツリ飯を食べたいとき。それは心身ともに調子の良いときの証明だ

ハウステンボスを再生させた男

かつてベンチャー三銃士という言葉があった。その三銃士とは、ソフトバンクの孫正義氏、パソナグループの南部靖之氏、そしてエイチ・アイ・エスの澤田秀雄氏のことを指す。いずれも90年代にベンチャーの旗手として脚光を浴びた人物だが、今では、それぞれがベンチャーから企業体制を盤石なものにし、各業界で大きな存在感を示している。そのうちの人である澤田氏も、孫氏同様に、今や日本を代表する経営者の人となった。

 

澤田氏は本業であるエイチ・アイ・エスだけでなく、18年連続で赤字だった長崎のハウステンボスをわずか1年弱で再生させ、熊本のバス会社である九州産業交通の再建にも手腕を発揮している。過去には航空事業や証券業にも参入し、航空事業のスカイマークは今澤田氏の手を離れたものの、航空業界でその存在感を増し、証券業のエイチ・エス証券は、モンゴルの銀行ほか、商品先物、損保、外為取引などを有する澤田ホールディングスに生まれ変わり、総合金融グループの体制を整えている。いわば、澤田氏は、観光、運輸、金融の分野を横断し、企業再生をも成し遂げる幅の広い経営者として、その名を轟かせているのだ。

人生の新しい扉を開くには?

そんな澤田氏は19512大阪に生まれた。その世代は学生運動が曲がり角を迎え、若者の価値観が大きく揺れ動いた時期を経験している。早生まれの澤田氏が高校を卒業した年は、あの東大入試が中止になった1969年。同時期に高校を卒業した著名人に、作家の高橋源一郎氏や経済学者の竹中平蔵氏らがいる。

 

一方、澤田氏は、東大入試中止とは無関係に、工業高校卒業後の数年間で、アルバイトで資金を貯め、旧西ドイツのマインツ大学への留学を図る。大学紛争がまだ活発な時代でもあったから、澤田氏はドイツ留学で人生の新しい扉を開こうとしたのである。

 

澤田氏の世代は海外に憧れ、放浪する者も多く、それまでの保守的な日本人の典型的な人生コースを崩していこうとするエネルギーが強かったように見える。いわゆる、ドロップアウトして、新しい考え方、生き方を見つけようとした世代だ。

澤田氏は古い価値観から新しい価値観へ日本が変わっていこうとする世代の人として、帰国後、29歳のときに新宿西口の8坪の事務所で旅行会社を開業する。最初は毛皮の販売を考えていたというから、一直線に事業を導いてきたわけではない。しかも事務所を開いても暇だったため、パチンコ店で時間をつぶすことが多かった。景品で山岡荘八の『徳川家康』全26巻を揃えたり、歌謡曲の流れる店内で事業の構想を巡らしたりしていた。

 

しかし、資金は家賃などの経費でどんどん減少し、焦りも大きくなっていった。そんなとき、自分がよく利用していた格安航空券を扱うことを考える。そのビジネスが次第に旅行マニアたちにも知られるようになり、事業の足場を築いていく。そして、39歳のとき、現社名に変更し、本格的に成長していくのである。

 

ガッツリ飯を食べたいとき

澤田氏らベンチャー三銃士が興味深いのは、いずれもサラリーマン経験がないことだ。組織人として働いたことがなく、ビジネスの経験もほとんどない。しかし、そんな素人同然の立場から出発した澤田氏が、大企業や経営コンサルタントがこぞってテコ入れして何度も失敗したハウステンボスを一挙に再生させてしまうのだから、この世は面白い。

 

そんなハウステンボスがある長崎といえば、名物料理として「トルコライス」が挙げられる。その代表的な盛り付けは、ピラフにナポリタン、トンカツが載ったもので、ピラフがチャーハンやドライカレーのときもある。男性の好きなものがほとんど載っていて、まさにガッツリ飯だ。私もカロリーが高いと思っても、空腹だとどうしても食べたくなる。

 

だが、私には長崎に行く機会はほとんどない。そこで都内で、ときどき食べに行くのが、池尻大橋駅近くにある洋食店「三好弥」だ。こちらのトルコライスは、ピラフではなくドライカレーだが、長崎のトルコライスを忠実に再現している。見た目通りの大盛系で、ドライカレーが食欲を刺激してくれる。

出典:TakackatAさん

トルコライスのようなガッツリ飯は、体調も気力も元気なときに食べたくなるものだ。私は澤田氏に取材したことがあるが、彼のモットーは「明るく元気で楽しく」。その言葉通り、大柄な人物で、いつも笑みを絶やさない。何とも言えない包容力に加え、泰然自若とした雰囲気を漂わせる人物だ。澤田氏のような成功した起業家を取材していつも思うのは、プラスのオーラを放っていることだ。トルコライスが食べたいとき。それは皆さんにもプラスのオーラが漂っているときだ。調子が良いときは、仕事でもプライベートでもぜひ攻めていきたい。