目次
〈おいしい歴史を訪ねて〉
第2回 津山城と、養生食として食べる牛肉料理
第2回の旅先は津山。
散歩しながら、その土地の“歴史ごはん”を散策するのは楽しい。今回は、「津山城」の見参とともに、津山で出合った食肉の文化について紹介する。
旅をしたのは、今年の4月。毎年桜のピークは10日前後ということで半年前から旅程を組んでいた。ところが今年は一週間早かったということで、訪れたときは葉桜になってしまっていた。
「石垣に、桜吹雪の春の午後」
吉井川と津山城と桜1000本がバランスよく街を調和させる。
津山城については最後にふれるとして、まずは津山の食文化について紹介しよう。津山に来て驚いたのは、ここは肉の流通拠点で明治前は肉食が禁止されていたにも関わらず、「健康のため」
“養生食”として牛肉を食べる、津山ならではの、至極の3品
山本精肉本店の「そずりコロッケ」
津山では、古くから山陰と山陽を結ぶ交通の要所であったため、牛の市が開かれていた。近江藩と津山を治めていた津山藩のみ薬として食べる「養生食」として肉食が認められており、「健康のために食べる」「薬として食べる」ということが今でも残っている。肉質よりホルモンや捨ててしまうものの知恵を使った調理や食べ方が特徴である。牛肉のブロックを数日間干してうまみを凝縮させた「干し肉」や牛肉の骨の周りの肉をそぎ落とした「そずり肉」を使うコロッケは最高だ。
これが地元のジャガイモにそずり肉混ぜ合わせた「
にこらすのビーフカツと、「よめなかせ」
地元に愛されている、地元の人が多く訪れる食事処「にこらす」。
ホルモンうどんなどが名物で、それ目当ての客も多いが、あまのじゃくな僕は違うものを探した。そしてこれが人気の津山和牛「ビーフカツ」。これは密かな津山のブームになりつつある。とんかつとは違う、贅沢なビーフの旨みがなんとも言えない。
写真下は、「よめなかせ」。独特の料理名だ。由来は諸説あるが、僕は「誰が料理しても美味しいのでお嫁さんの出番がない」というのが気に入っている。牛の大動脈が、コリコリしておいしい。ビールでも良いが芋焼酎のロックにピッタリだなあ。
如水庵の「全粒粉うどん」
新庄村からの帰路、勝山で見つけた全粒粉うどんのお店。
ここのうどんは地元の真庭産小麦粉と国産小麦粉100%の健康志向満点のうどんだった。オーナーはおいしい料理とアナログのレコードでおもてなしをする。昔の良いものを残したい!の一心だとか。
白くないご自慢の冷やしうどん。
美作国の山間の小さな酒蔵「難波酒造」
「最後の1粒まで岡山米」が合言葉。その思いは「寝ないで造った酒は寝ていても売れる」と解く。そんな先人の教えを守り伝える女性オーナーの酒蔵だそうだ。今回、冬から春のみの「にごり酒」をいただく。思ったより辛口で炭酸のシュワシュワ感がたまらない。あっという間に空になってしまった。純米吟醸も美味しそうなので次回チャレンジしたい。
再び、津山城へ
津山が城下町となったのは江戸時代。織田信長の近習として本能寺の変で仇討ち討ち死にした森蘭丸の弟である、森忠政が関ヶ原合戦で徳川陣営についた。そして合戦勝利のご褒美で1603年に津山に13万石で入り、城を建設するべく近江坂本から有名な棟梁を津山にヘッドハンティングして土台の石垣を北九州市の小倉城を基本として構築し、城を建てた。残念ながら津山城は明治の廃城令で取り壊された。今あるのは石垣だけである。この石は津山にある大谷の石だそうだ。穴太積(あのうづみ)で66度の角度で成り立っている。この角度、実に城跡としては日本でも指折りではなかろうか。
帰りがけに見事に「もみじ」が新緑になっていた。ここの秋もいい感じの色になるといいな!
津山を城跡から見下ろす。とても静かな佇まいだ。手前は吉井川。
街にはハナミズキの並木道もありほのかな香りと花びらに癒やされる。
「おまけの眼福」
途中立ち寄った「衆楽園」では、ちょうど蓮の花が美しく咲いていた。こちらは、森家2代藩主長継公が1957年に京都から庭建築士をよび作らせた庭園。
写真・文:小平尚典